友人に石ころを集めている人がいる。
何年も前に見せてもらったときは、「なんでそんなことしているんだろう?」としか思えなかった。
ひさしぶりにお宅に伺うと「すごい」と思った。
置く場所がなくなってかなりの数の石を捨ててしまったという。
しかし、残った石はどれも宝石のようだった。
確かに単なる石ころなんだよ。
でも、集めて、選択していくうちに、一大コレクションになっていた。
大事に扱われるって大切なことなんだな。
No.04668 21.11.26 好転反応
太極拳を始めて数日で体調が悪くなった。
「だから太極拳が悪い」というつもりはない。
きっと好転反応なのだと思う。
いろいろと我慢してきた。
40になる頃に血糖値が高いと言われ、ジョギングを始め、マラソンを走るようになった。
頑張りすぎたかもしれない。
2011年に311で、放射性物質が飛来したので外で走らなくなった。
これがよくなかったようだ。
2年もすると10kmを1時間では走れなくなってしまった。
走っていた頃は体重が82kgを下回ることはなかったが、走る代わりに泳ぐようになると、筋肉が落ちるせいか体重も下がっていった。
この10年で8kgやせた。
それで太極拳を始める。
いろんな歪みが出てきたのだろう。
力を抜いて太極拳を続け、いい感じで生きていきたい。
No.04667 21.11.25 走る
最近は走れなくなった。
10年前までは1時間に10kmくらい走っていたが、いまは10km歩くのでもひーひーいう。
無理はしない程度に、少しずつ走る距離を伸ばしたい。
できることなら以前の状態に。
できないのならできるとこまで。
そういう状態だから、走るということの気持ちよさがじわりとわかる。
「走るのつらい」とか思っていたが、「つらい」のなかにほのかに香る気持ちよさを思い出す。
No.04666 21.11.24 ノーマン
本棚の奥から「ノーマン」という漫画が出てきた。
手塚治虫が1968年に描いた作品。
読んで驚いたのは、「スターウォーズ」と似たシーンがいくつか出てくること。
デススターとそっくりな建造中の人工星が出てくるし、その中にはデススターの中とそっくりな柱状のコンピューターがある。
フォースのような超能力も出てくるし、話も五億年前の宇宙戦争について。
「スターウォーズ」がパクったのではないかと思えるほど。
もしこれが偶然の一致だとしたら、人間の深層心理にこういう元型のようなモノがあるのかもしれない。
No.04665 21.11.23 変化
僕は、昨日の僕とは違う。
ここにこれから書く、こんな文章を書こうとは思わなかった。
それに、聞いたことのない音楽を今聴いている。
だから、昨日の僕とは違う。
明日もきっと、また違った僕に会う。
No.04664 21.11.22 マルチスピーシーズ人類学
『モア・ザン・ヒューマン』というマルチスピーシーズ人類学についての本を読んでいる。
人間は環境がないと生きていけない。
それは、どんな動物にも当てはまること。
しかし人間はそれをおろそかにしてきた。
環境を大事にするとはどういうことか?
それは、そこに生きている生命をすべて大事にすることかもしれない。
だとすると、そこに生きている動物すべてに、人間と同じような権利を認めることが必要かも。
そのようなことを探るためのマルチスピーシーズ人類学。
人間だけをどんなに大切にしても、環境が大切にされなければ、結果として人間も大切にされてない状態が生まれる。
No.04663 21.11.21 断定的な決定が物事をいびつにすることを知る
正しいかどうかわからないことを「正しい」と言い切ったり、できるかどうかわからないことを「できる」と言い切ることが、物事をいびつにして行く。
未来は常に僕たちに開かれている。
いまわからないことは「わからない」と言おう。
その上で対応を考えないと、間違いが雪だるま式に大きくなっていく。
No.04662 21.11.20 切ない話
この世には、切ない話がたくさんある。
切ない話を「気持ちいい」とは言えないけど、切ない話の中にわずかな希望や、善意や、ささやかなハッピーがあると素敵だなと思う。
じんわりと心温かくなる。
No.04661 21.11.19 柿
庭になっていたという柿を知人からいただいた。
いただいたときはまだ硬かったのでしばらくおいて今朝食べた。
やっぱり両親のことを思い出す。
18.11.30のNo.03715に書いた話。
毎年硬い柿が好きな母は硬いうちに柿を食卓に出し、父は柔らかい柿が好きだったので怒る。
ニーチェは「夫婦生活は長い会話だ」と言ったそうですが、柿の話を思い出す度に「夫婦は永遠の会話だ」と思うのです。
なにしろ、毎年繰り返していた両親の会話を、二人とも亡くなってからも僕が思い出し、僕がこうして書くことで、誰かがその話をきっといつか思い出すんだろうなと思うから。
言語学者が、子どもがどのように言語を獲得していくのか研究するため、自分の幼い娘の会話をすべて記録して分析したことがありました。
予想では、新奇なことをたくさん話すのだろうと予測していましたが、実際には話題は限られていて、ほぼ毎日繰り返されることの些細な変化についてよく話したそうです。
両親の柿の話もきっと毎年些細な変化を繰り返し、最初は本気で喧嘩していたが、途中から毎年の恒例になり、そのうちに「また柿の季節になったねぇ」という意味を含んだ口げんかとなり、最後には「また今年もこの会話を繰り返すよ」と思いながら、談笑していたのかなと思います。
その毎年の変化に当時の僕は気づけず、本当のところは覚えてないのですが。
こうやって繰り返すことで、新たな発見があり、新たな概念が生まれ、それがいつしか新しい言葉として表現されるようになり、子どもは言語を獲得し、大人はさらなる気づきを得ていくのでしょうか。
No.04660 21.11.18 山川草木悉皆仏性
日本人にはあらゆる存在に仏性があったり、神様が宿っているという感覚があった。
原子にも仏性があり、だから複雑なネットワークを通して生命が生まれてくるのだと思う。

