No.05468 25.11.23 御神田

吉野裕子女史の本に御田植祭のことが書かれていたので、伊勢神宮に参拝するついでに足を伸ばして御神田に行ったことがある。
厳重に守られているものだと思ったが、そんなことはなかったので驚いた。
神様への捧げ物に悪いことをする人はいない。

No.05467 25.11.22 2025年11月22日の朝日

ベランダから朝日を見た。
夜空の色が変わるところから。
空が明るくなっていき、雲の間から朝日が射し込む。
何度朝日を見ただろう?
数えきれない朝日を見てきた。
印象的な朝日は覚えている。
富士山のご来光ととか、ワイルアの浜から見た日の出など。
いくつもの朝日を思い浮かべられるが、今日のような平凡な朝日はきっと忘れる。
でも、
インターネット上の忘れ去られた言葉をかき集め、AIが意識を持とうとしている。
そのうちきっと僕が忘れていく朝日の画像や映像をかき集め、AIが何かを作り上げていくのだろう。
それは人類が理解できない何かかもしれない。

No.05466 25.11.20 夢が多次元であることを味わう

夢を見た。
とても高度なデザインを施された大都市の地下街。
僕は見知らぬ人を待つ。
来るはずの見知らぬ人。
不意に現れたその人は青い目をした北欧系の人。
その人がスケッチを見せてくれる。
古代ギリシア人のような顔のスケッチ。
それを見て遊びの深い意味を知る。
彼とさらに地下街の深い階へと降りていく。
懐かしいホテルのロビー階を通り過ぎ、さらに洗練された階に行く。
そこでまたひとり人にあう。
その人は彼か彼女かもわからない。
存在としての人。
その人から思いがけないことを教わる。
以前から知っていた、言語化できなかった謎について。
そこで目が覚める。
ウトウトしながら、夢の意味を探り出す。
いくつもの解釈があふれだす。
そのうちの一つは言語化できても、それ以外はきっと忘れてしまう。
多次元のまま記憶できたらいいのに。

No.05462 25.11.15 龍の口竹灯籠

日蓮上人が龍ノ口の法難に遭った刑場跡に今は龍口寺が建っているが、そこに施餓鬼壇を設け、毎年竹灯籠を灯して供養や祈願をしている。
境内が竹灯籠で埋め尽くされ、夜の闇の中、美しく輝いていた。
小さな灯火が集まると、不思議な力を生み出す。

No.05461 25.11.14 形象理論とその超越

戦前の国語教育のレベルの高さに驚き、No.05456を書いたが、その根拠は垣内松三の形象理論にあった。
形象理論を理解するために垣内の論文を読んだが、そこまで考えて初等教育の読み方、書き方を教えるのかと唖然とした。
現代では成人でも理解し難い言語に関する考察を尽くした上で初等教育にあたる。
そのような論文を読んでいると、なぜ人間はカルトにはまるのかとか、特攻隊員がなぜ自らの意思で敵戦艦に突っ込んで行ったのかなどが理解できる。
現代ではそれが危険な思想だからと避けることによって大切な概念にたどり着けない状況がある。
しかし、それを理解し尽くせば、カルトにはまることもなくなると思うのだが、大切な概念を超えていく意思がないと、確かにはまってしまうのかもしれない。
その「大切な概念」とそれを「超えていく意思」とはどのようなものかを伝えていきたい。

No.05460 25.11.13 御幣餅

中部地方の郷土料理。
場所によってかなりたくさんのバリエーションがあるそうだ。
僕が食べたのは、円形のものと小判形のもの。
うるち米を餅のように潰すが、微妙に粒感が残るようにする。
それを串や細長い板につけて乾燥させたり焼いたりする。
そこにタレをつけるのだが、そのタレのバリエーションがたくさんあるようだ。
昔、白いご飯が貴重だった頃に、祭りなどのお祝いに食べたそうだ。
今ではいつでもどこでも食べられるが、かつてのありがたみは失われただろう。
それを想像していただく。