No.05337 24.12.29 7キロ歩けた

2022年に退院した頃は数百メートル離れた駅まで歩くのもやっとだった。
一年ほどして数キロは歩けるようになり、調子が良ければ10キロも歩けるようになった。
最近はほぼ毎日3キロは歩くようにしているが、毎日歩いていると少々疲れる。
今日は7キロほど歩けた。
でも、「10キロは歩けなかった」とつい考えてしまう。
7キロ歩けたじゃないかと自分を励ます。

No.05320 24.11.28 違うか一緒か

あなたと私は違うが、日本人だという点で一緒だ。
あなたがどこか別の国の人だとしたら、国は違うが人間だという点で一緒だ。
あなたが人間以外の動物だとしても、動物種が違うが生命という点で一緒だ。
あなたが地球外生命体だとしても、住んでいる星が違うが生きているという点で一緒だ。
どんな存在も違う点はあるが、同じ点もある。
光が波動であり、粒子であるのと同じ。
違ったり、一緒であることを楽しもう。

No.05318 24.11.22 芝生になる

ヨーロッパに行った知人のサッカー選手からメールが来た。
「こんなメールをもらったんだけど、なんて返事をすればいいと思う?」
そのあとに引用マークのついた文が続いていた。
「お久しぶりです。ご活躍の様子、配信で見てます。
 ヨーロッパでプレイする者同士、意見を聞かせてください。
 〇〇さんに<雑草のように踏みつれられても生えてくる強さを持て>と言われました。
 確かにその通りだと思いますが、先日ピッチの整備を手伝うことになり、
 雑草を抜いているとき、その言葉を思い出し、
 これが俺かと思いました‥」
なんでそんな質問に僕が答えるんだろう?
と思ったところで 目が覚めました。
「変な夢」と思いながら水を飲み、ダイニングの椅子に座ると、返信の文面が浮かびました。
「確かにかつては日本人選手は雑草の様に強い心を持たなければヨーロッパではプレイできなかった。
 だけど、今は活躍する選手が増え、もう日本人プレイヤーは雑草ではないと思う。
 もう芝生の一部だ。
 大谷がワールドベースボールで<憧れるのをやめよう>と言ったように、
 君には芝生からの視点が大切なのかも」
僕はフットサルをしただけで全身筋肉痛になります。
そんな僕が「偉そうなこと言うな」とどこかで思いました。
そして、「なんでこんな夢を見たんだろう?」と思いました。

No.05312 24.11.08 日光

今日も秋晴れだ。
スカッと晴れてて気持ちいい。
日光に感謝だ。
太陽がなかったら、僕たちは生きてはいけない。
巡り巡っていろんなことへの恵みになっている。
太陽ありがとう。

No.05311 24.11.07 欠乏という恵み

十数年前、友人が亡くなりました。
その翌々日、「本当に全てのものが流れ去っていくな」と思っていたとき、不意に「欠乏こそが恵みである」という言葉が出て来ました。
その瞬間は「なんだそれ」としか思いませんでしたが、時間が経つと確かにそうだなと思うようになりました。
そのときのことを文章にしてどこかに残したはずだと思い、探しました。
Healing Writing のサイトにありました。
http://www.healingwriting.com/blog/?p=224
うっすらと覚えていたことですが、はっきりと文章で読むとなるほどと思います。
生きているって不思議だな。

No.05285 24.09.22 100歳

昨日、父の誕生日でした。
生きていたら100歳。
父は「敗者の文学」を追求していました。
僕が幼い頃は、「勝者の文学」を追求したほうが儲かって良いと思っていましたが、最近になって、やっとその深い意味が分かってきた気がします。
父さん、100歳の誕生日おめでとう。

No.05281 24.09.12 幸せであること

幼い頃、ジュースが飲みたいと駄々をこねました。
僕が幼かった頃は近所にコンビニなんてありません。
そこで母はどうしたか。
コップ一杯の水を僕に持たせて「美味しい、美味しい」と言いながら飲ませたのです。
僕は最初不満でした。
でも、飲んでいるうちに水が美味しく感じられたし、飲み終わると喉の渇きも取れてました。
そこで母に「美味しかったねぇ」と言われると、それで満足してしまいました。
子供だったからそれで済まされたという見方もできますが、ときどき大人になってからもそのことを思い出すことがあるのです。
今の状況に満足できること。
これってとても大切なことがあるのです。
人間はすべての欲を満たすことはできません。
それに執着をしだすと大変なことになります。
現状で満足する。
そして幸せを噛みしめる。
欲に振り回されるのではなく従える。
幸せであることは、いつでも生み出すことができるのです。

No.05261 24.08.11 淀んだ空気を祓う

日本には「祓う」という概念がある。
英語にすると「exorcise」というらしいが、ニュアンスがちょっと違うように感じる。
「exorcise」は「悪魔を祓う」という意味で、日本の「祓う」には確かに「魔を祓う」という意味もあるけど、必ずしも「魔」や「悪」ばかりではなく、「淀み」や「不明瞭な感覚」も「祓う」ことができるだろう。
つまり「祓う」には、多神教的なニュアンスが埋め込まれており、必ずしも悪くなくても、意見や解釈が複雑に絡み合っていてほぐすことができない状態を落ち着かせることも「祓う」ことになるのではないか。
「exorcise」は祓えたか否かがはっきりとするが、「祓う」は複雑な状況を抱え込んで白黒つけるというよりは、考えるべきことに意図を向けた結果、「よし」と言える状況かどうかが大切で、無理に解決に追い込まなくてもいいような気がする。
日本のあらゆる部分が祓われ、世界に波及しますように。

No.05243 24.07.20 誰かのせいにするのをやめる

世間で起きることはすべて、誰かのせいだと思い込んでいる。
これはかつての人間の性質だ。
人間が言葉を使い続ける限り、そこから抜け出すのは難しい。
言葉は何かを他から隔絶するから。
「あの事件の犯人」というと、その人だけが悪い人のように思えてくる。
でも、前後関係をつぶさに見ていくと、その人が犯人にならざるを得なかった理由が見えてきて、その理由を作っている周囲の状況が見えてきて、その状況を作っているのは人間の思い込みだったりして、その犯人が犯人になってしまったのは、周囲の状況がそうだったからとしか言いようがなくなり、それでも「犯人が悪いよね」と結果づける。
そして、犯人が生まれてしまう状況はそのまま残される。
そしてまた、誰かが犯人になる。
こういう状況を現代は多くの人が理解するようになってきた。
でも、まだ簡単には解決できない。
考えるべきことが多すぎるから。
でも、認識したことはいつか解決される。