No.05047 23.08.26 パイオニア・イン

100年以上の歴史がある古いホテル。
wikipediaには、2023年の大火で消失するまでは「マウイ島最古のホテル」「ハワイ州で現存最古のホテル」として知られていたと書かれている。
港側の入り口には木彫のパイプをくわえた船長さんの像があった。
建物は木造で、階段を上がるとミシミシいった。
部屋のベランダは何部屋かつながっていて、ベランダにでるとき誰かがいると会釈をし、ときには話しかけられた。
昔はきっと捕鯨の船員たちで混んだのだろうと思っていたが、開業当時にはもう捕鯨は下火になり、船でマウイに訪れる旅行客で賑わったそうだ。
一階にはレストランやちょっとしたショップがあり、そこでシガーを買った。
支払いのとき、まごまごしていたら、頭越しに店員に話しかけた男がいた。
「久しぶり、元気だった?」
みたいな感じで。
ハワイらしくて微笑ましかった。
でも、そこで買ったドライシガーは苦かった。
今回の大火で味わった苦さほどではないけど。

No.05046 23.08.25 アイランド・サンダル

パイオニア・インとバニヤンツリーにはさまれた通りをまっすぐ進むと、突き当たりにショッピングモールがあり、その一階にアイランド・サンダルというお店があった。
はじめてそこを訪れたとき、入口に日本語で「サンダルメーカー」と書かれていた。
サンダルを売っているところはたくさん見たが「作っているってどういうこと?」と思い、中に入った。
お店に入ると作りかけの皮革製サンダルがズラッと並んでいた。
白人女性が一人用の肘掛け椅子に座って、足を見てもらっていた。
その足を見ていたのはサンタクロースのように長くて白いあごひげを生やした店主だった。
頭はツルツル、メガネの奥の眼光は優しかったり、厳しかったり。
先客が店から出て行くと「このサンダルを履くと気持ちいいよ。よかったら履いて芝生の上を歩いてご覧」という。
一足のサンダルを差し出された。
窓の外には芝生があった。
「このサンダルを作るノウハウはどこかで学んだの?」
「昔ね、ローマ時代の映画が流行ったろ。ベンハーとかさ。あれの小道具を担当したとき、その作り方を習ったんだ」
そう聞いて一足買うことにした。
すると肘掛け付きの椅子に座らされて、足の形を型紙に取られた。
「これがあれば、いつでも同じ形のサンダルは作れるからね。電話で注文してくれてもいいよ」
それから一、二か月後、東京の我が家にサンダルが届いた。
地面の状態がダイレクトに伝わってくる、履き心地のいいサンダルだった。
ただし、焼けたアスファルトの上では熱くて歩きたくない。
暖かい芝生の上を歩くには最高のサンダルだった。
底も革製なので、永く履いていると擦り切れて修理が必要になる。
郵送で修理できたが、それを口実に二度マウイに行った。
行くたびに修理してもらい、店頭で面白い話を聞かせてもらう。
またいつか行こうと思っていた。
店主マイケルの無事を祈る。
ホームページは現在、写真が抜け落ちて不完全だ。
インスタグラムを見つけた。
去年の6月まではお元気だったようだ。
https://www.instagram.com/island_sandals/

No.05045 23.08.24 ラハイナ港のバニヤンツリー

ラハイナの港からすぐのところにあるバニヤンツリー。
とても大きく、僕が見たことのあるバニヤンツリーでは一番大きいのではないかと思う。
ワイキキのモアナサーフライダーにあるバニヤンツリーも大きいが、それよりもっと大きかったと思う。
この木陰では毎週アートのフリーマーケットがおこなわれていたという。
そこで絵が売れるようになり、有名になったアーティストの一人にクリスチャン・ラッセンがいる。
僕が訪れたときにはすでに独立したギャラリーを持ち、そこで販売していたが、ラハイナのメインストリートには他のアーティストのギャラリーも点在していた。
フリーマーケットがおこなわれていないときも、バニヤンツリーの木陰では人や犬が休んでいた。
猫もいたかもしれない。
どんなに日差しが強くても、その木陰は少しひんやりしていた。

No.05044 23.08.23 マウイ島ラハイナ

ラハイナが焼け落ちた。
山火事が延焼して街一つが焼けてしまったという。
この事件以来、気持ちいいものを思い浮かべようとすると、ついラハイナを思い出す。
火災が起きてすぐにそのことについて書くのはどうかなと思い、書かずにいた。
ラハイナには三度ほど行った。
とてもいい街だった。
あんなにいい街がなくなった。
その喪失感が深い。
そこで、ラハイナの素晴しさをしばらく書いていく。
ラハイナの人々がこれからも幸せで、コミュニティも再生されるように祈りながら。

No.05043 23.08.19 この世が 焼けてるんだよ 燃えてるんだよ

竜亀さんというお坊さんにお会いした。
佐々井 秀嶺というインドに住むお坊様のもとでお手伝いをしているという。
それで興味を持ち、お二人が出演しているという「ジャイビーム!」という映画を見た。
佐々井 秀嶺師は1967年に龍樹菩薩が夢に出てきてインドでの布教を決めたという。
かつてインドは仏教発祥の地であるのに信者がほとんどいなかった。
それが、ビームラーオ・アンベードカルという不可触賤民出身の政治家が1954年にインド仏教徒協会を立ち上げ、これをきっかけに50万人が仏教徒となったという。
1956年に亡くなるが、そのあと1988年から佐々井 秀嶺師は全インド仏教大会の大導師に就任する。
こう書くと、とても立派なお坊さんのように思えるが、その姿はとても質素で人間的。
そのお坊様が「ジャイビーム!」の中で「この世が 焼けてるんだよ 燃えてるんだよ」と語る。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という思いをインドで実現させようとなさっている。

No.05042 23.08.17 やなせたかし氏

小学生の頃、うちにあった歌唱集にやなせたかしのイラストが入っていた。
その頃にはテレビにもときどき出ていたし、「手のひらを太陽に」という歌の作詞もしていたから、とても有名なイラストレーターだと思っていた。
アンパンマンがアニメになり、誰でも知る存在になったとき、僕が歌唱集で見た頃は大変だったという話を聞いた。
氏が亡くなる一年ほど前、何かの企画でお金が足りず困っていたとき、知り合いが「やなせたかしさんに会いなさい」と言ってくれた。
理由を聞くと、「アンパンマンが出るまで苦労していたので、困っているクリエイターがいると助けてくれる」というのだ。
お目にかかったこともないのにそんなこと頼むのは良くないと思いお断りしたが、一度は会ってみたい方だった。

No.05040 23.08.07 どうして?

気がつくと、ボクは父さんと母さんと兄さんのあいだで暮らしていた。
どうしてボクは生きているんだろう?
そんなことをときどき思った。
それを考えると堂々巡りで気持ち悪くなった。
そこで父さんに聞いてみた。
「どうしてボクは生きているの?」
父さんは答えた。
「どうしてかな? わかったら教えてね」
母さんに聞いてみた。
「私が産みたいと思ったからよ」
小学校でガキ大将のシンちゃんが、図書館で大人向けの性教育の本を見つけて見せてくれた。
だから、男と女がすることをすると、子供が生まれることは知っていた。
でも、なぜすることをすると子供ができるのか?
小学生のボクには、そのすることが、どうも理解できなかった。
理解はできないけど興奮した。
兄さんに聞いた。
「どうしてボクは生きているの?」
「なぜ生きているのかなんて、わかる人はいないよ」
「え、みんな知らないの?」
「そうだよ」
そんなんでいいのか?
そのまま齢六十を過ぎました。
そんなんでいいのか?

No.05039 23.08.06 クスコ

ふと、クスコを思い出した。
ペルーの都市ではなく、クスコというエレクトリックバンドがあった。
1980年頃、よく聞いていた。
あの頃はシンセサイザーが楽器として確立してきた頃で、クスコはシンセサイザーでペルーのパンフルートのような音を多用して、南アメリカの雰囲気を出していた。
日本をテーマにした曲も何曲かあった。
ネット上でさがして久しぶりに聞いた。

No.05038 23.08.05 農民芸術概論綱要

宮沢賢治の論文。
以下に序論を引用する。

序論

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙しく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である

宮沢賢治著 農民芸術概論綱要

大乗仏教の基本的考え方が表現されている。
大乗仏典はすでに聖徳太子の頃に日本に来ていた。
日本人の考え方の根底に、このような感覚があることを誇りに思う。