No.05426 25.09.06 江島杉山神社

10年ほど前に一度だけ行った神社をふと思い出した。
また行ってみようかと思う。
徳川綱吉の宿病を癒し、関東惣録検校職に命ぜられた杉山和一が綱吉から「何が欲しい」と聞かれ、「ひとつでいいから目が欲しい」と答えたら、本所一ツ目の土地をもらったという。
そこに江ノ島から勧請して神社を建立した。
江ノ島の洞窟を模した洞窟も作られた。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p3709/

No.05398 25.07.01 理会する

小学一年生が習うはずだったことをいま学び直している。
小学一年生が習うことなんてとても簡単で学び直す必要なんてないと普通は思うだろうが、明治11年生まれの教育者、垣内松三の本によると、理会することを前提に小学一年から教えないとならないという。
「理会する」とはどういうことか。
「理解する」より深い内容を読み取っていくことをいう。
例えば文体や使っている単語から、作者が何を表現したいのかを読み取る。
さらに作品に登場する人たちが、どんな社会的背景を持ち、どんな暮らしをし、どんな境遇にいるのかを読み取る。
その上で、文章に潜む核心を掴んでいくというのだ。
そのようなことができるように初学者(小学一年生)から教えていかなければならないという。
戦前の教育者は、日本語の深い意味を汲み取れる人になるように、初学者から導いていくように、それができる人にどうしたらなれるかを学んでいた。
かつての日本語教育の質の高さを実感する。

No.05392 25.06.10 言霊の復権

「言霊の幸わう国」、それが日本です。
なぜ言霊が幸わうのか?
幕末に日本に来た外国人は日本人が楽しそうにしていることに疑問を持っていたそうです。
なぜ日本人は普段の生活の苦労を見せず、みんなあんなに快活なのかと。
渡辺京二の著書『逝きし世の面影』には欧米人が書いたそのような文章の例がたくさん掲載されています。
欧米人が奇異に思うほど日本人は幸せそうだった。
なぜなら多くの日本人が「お天道さんが見ているから」と正直だったからです。
もちろん盗人や嘘つきがいなかったわけではないでしょう。
だけど、多くの人々は欧米人から見れば「馬鹿」がつくほど正直だったのです。
日本人にとっては不思議なことではないでしょうけど、欧米人にとっては信じられないことだったようです。
そんな国民性だから言霊が生まれた。
特に祝詞(のりと)や寿詞(よごと)など、当たり前に信ずるもので、「疑うか信じるか」と考えることすら不敬であったのでしょう。
それほど信じることが当たり前だったから言霊が生まれた。
現代は嘘が蔓延しています。
政治家が嘘を吐いたとかなんとかいう前に「自分の言葉を見つめるべき」だと気づきました。
多くの人がそうすることで次第に言霊が復権するように思います。

No.05367 25.03.10 深い文化

日本はずっと深い文化を保持し続けてきた。
なぜ縄文時代に争いがなかったのか。
平安時代には世界最高といわれた小説が生まれた。
鎌倉時代にも「徒然草」「方丈記」が生まれ、室町時代には茶の湯が始まる。
なぜ戦国時代から平和な江戸時代に脱皮できたのか。
江戸時代を自発的に終えて、どうして明治になれたのか。
いろんな見方があると思うが、文化の層が深かったのだと思う。
ヨーロッパでは王が変わるといろんなことを変えた。
だから文化のレイヤーが浅くなりがち。
日本では過去の文化をすべて捨て去るということはほとんどしない。
ヨーロッパ人にとってはそれが不思議であるようだ。
神道と仏教を融合させることで文化に深みが生まれた。
そこに儒教や陰陽五行も絡む。
なぜ武士が戦国時代に茶にハマったのか。
また、能はなぜあんなにゆったりとした動きで舞うのか。
江戸時代には派手さが好まれなかったのはなぜか。
どれも深い文化であることに起因しているように思う。
それを悟るには簡単な理解では足りない。
その深い理解を多くの民衆もしていた。
だから日本はいろんなことから守られていた。
江戸は世界一の都市になれた。
西欧人にとって厄介な存在だっただろう。

No.05345 25.01.12 仏典と聖書

仏典にはいろんなものがあるが、編纂された部分についてはどの時代のなんという仏典の一部を引用しているとか、翻訳の際に加えられたなどと書かれるが、その編纂の良し悪しはあまり問われない。
一方で聖書は、原典から編纂された部分は捏造と言われる。
仏典も聖書も、どちらも誰かが聞いた話を書いたものだが、仏典はどんどん発展して、仏陀が言ったわけではないことも仏典の中に取り込まれていくが、聖書は各時代の権威が認めた文言だけが残され、それ以外は偽書とされた。
二つの宗教の違いが表現されているようで面白い。

No.05191 24.04.13 龍とはなにか?

龍について色々と調べている。
いろんな資料を読んでいるうちに、なぜ東洋と西洋では、龍の解釈が違うのかについての説を読んだ。
西洋では多くの場合、龍は邪悪な存在として登場するという。
一方、東洋で龍は王権の象徴だったり、善の存在として表現されることが多い。
それはなぜか?
龍は水の象徴ととらえられる。
つまり大きな水の流れが龍になったり、大きな水の流れを支配するものが龍になったりする。
西洋では水や自然環境を「支配すべきもの」ととらえ、東洋では「一体となるもの」ととらえるから、善悪が逆になるのだという。

No.05184 24.04.06 なぜ宇佐神宮?

中学の歴史の授業で、弓削道鏡が皇位を狙い、和気清麻呂が宇佐神宮に神託をもらいに行くという事件がありました。
それを習ったとき、「なぜ宇佐神宮なの?」と疑問を持ちました。
高校の日本史にも出て来ましたけど、なぜ宇佐神宮でなければならなかったのかまったくわかりませんでした。
確か高三のとき、皇居の周りを散歩していたら、大きな和気清麻呂の銅像を見つけました。
皇位を守った英雄ですから、それを顕彰されたのだろうと思います。
でも、それでもなぜ宇佐神宮に行ったのかはわかりませんでした。
ライターになってから、ある雑誌の取材で安心院に行きました。
空港からはレンタカーで移動していたので、宇佐神宮に足を伸ばしました。
八幡大神や比売大神、神功皇后が祀られていることがわかりましたが、それでもなぜ和気清麻呂が神託をここからもらったのかはわかりませんでした。
きっと神位が高いからなんだろうなとしか理解できませんでした。
それからまた年が過ぎ、神仏習合について調べていたら、突然その理由が理解できました。
それを理解するためには、神仏習合がどのようになされていったのかを知り、しかも奈良の大仏造立の経緯を知ったうえで、八幡大神がどのように扱われたかを知る必要がありました。
四十年以上前からの謎がやっと解けました。