No.05425 25.09.05 スーフィーの物語

昨日の気持ちいいものを書いて、久しぶりに「スーフィーの物語」を読みたくなった。
いろんな精神的な教えとなる物語が書かれている。
多視点の価値を伝えるものもあり、ときどき読み返したくなる。
でも、アッタールの「鳥の言葉」を買ったまま積読状態だよなとも思う。

No.05407 25.07.22 不快の正体

「トランプvsディープステート最後の死闘」という本を読んだ。
著者は元ウクライナ兼モルドバ大使を務めた馬渕睦夫氏。
ディープステートの話をすると、嫌がる人がいる。
多くの場合「陰謀論は信じない」という話になるが、本当は違うのではないか?
資本主義で育ってきた僕たちは、ディープステートの気持ちがわかる。
勝てればいいというその視点。
敗残者について考える必要はないというその傲慢。
隠された心が疼く。

No.05398 25.07.01 理会する

小学一年生が習うはずだったことをいま学び直している。
小学一年生が習うことなんてとても簡単で学び直す必要なんてないと普通は思うだろうが、明治11年生まれの教育者、垣内松三の本によると、理会することを前提に小学一年から教えないとならないという。
「理会する」とはどういうことか。
「理解する」より深い内容を読み取っていくことをいう。
例えば文体や使っている単語から、作者が何を表現したいのかを読み取る。
さらに作品に登場する人たちが、どんな社会的背景を持ち、どんな暮らしをし、どんな境遇にいるのかを読み取る。
その上で、文章に潜む核心を掴んでいくというのだ。
そのようなことができるように初学者(小学一年生)から教えていかなければならないという。
戦前の教育者は、日本語の深い意味を汲み取れる人になるように、初学者から導いていくように、それができる人にどうしたらなれるかを学んでいた。
かつての日本語教育の質の高さを実感する。

No.05391 25.06.08 菊理媛神(くくりひめのかみ)

2002年に出版した「あなた自身のストーリーを書く」に菊理媛神の話を書いた。
菊理媛神は白山神社や白山比咩神社の御祭神で、日本書紀に一度だけ登場する神様。
イザナギのみことがよもつ平坂でイザナミのみことと別れるとき、菊理媛神が何かを言うと、イザナギのみことが誉めるのですが、菊理媛神が何を言ったのかはわかりませんでした。
ところが、あの本を書いて23年も経ってから、「なるほど」という気づきがありました。
素晴らしい秘密でした。
今年、政治界隈で不思議なことが連発しています。
日本も変ですが、世界中変です。
菊理媛神の隠された言葉が実現するんだなと思った。

No.05387 25.05.29 まひ と をどり

舞と踊りにはどのような違いがあるかご存知だろうか?
見ればなんとなく違いがわかるような気がするが、折口信夫は動きの違いに着目して区別した。
舞はくるくると回る動きが含まれ、踊りには飛び跳ねる動きが含まれるという。
言われればそんな気がする。
しかも、舞は「くるふ」ことによって神がかりして舞うことだという。
「くるめく」という言葉がかつてあり、舞の速度を速くしたような動きだという。
「くるめく」ことで「くるふ」たらしい。
つまりそれで神がかりをした。
一方踊りは、踊り神が憑いたものを円満に返す行為だそうだ。
確かに盆踊りはいらした先祖の霊を慰め帰すためにするものと聞いたように思う。

No.05385 25.05.23 多響的統一

垣内松三の著作に多響的統一という言葉が登場する。
もとはローマン・インガルデンというポーランドの哲学者が生み出した概念だそうだ。
それを垣内は言葉の説明に使っていた。
しかし、この多響的統一という言葉は、あらゆる物質、生命、宇宙にも当てはまる言葉だと思う。

No.05371 25.03.17 公益資本主義

「公益資本主義」という本を読んでいる。
著者の原丈人氏によれば、現在の資本主義は株主資本主義であり、株主の利益を最大化することが善とされるが、それでは二極化が進むばかりで、中間層がどんどん減っていく。
だから、氏が唱える公益資本主義に立ち返り、中間層を増やすことで、製造業の経営を安定化することを目指すべきだという。
これは60年代、70年台に日本がやっていたことに近いもので、株主ばかりを優先するのではなく、社員、会社、関係会社、取引先なども大切にすることで、あの頃の経営状態を取り戻すことができるそうだ。
原氏はいくつも会社を経営し、それを実現させてきたので説得力がある。

No.05345 25.01.12 仏典と聖書

仏典にはいろんなものがあるが、編纂された部分についてはどの時代のなんという仏典の一部を引用しているとか、翻訳の際に加えられたなどと書かれるが、その編纂の良し悪しはあまり問われない。
一方で聖書は、原典から編纂された部分は捏造と言われる。
仏典も聖書も、どちらも誰かが聞いた話を書いたものだが、仏典はどんどん発展して、仏陀が言ったわけではないことも仏典の中に取り込まれていくが、聖書は各時代の権威が認めた文言だけが残され、それ以外は偽書とされた。
二つの宗教の違いが表現されているようで面白い。

No.05306 24.10.26 太宰治短編小説集

太宰治の小説は中学生の頃にいくつか読んだ。
もう半世紀前のこと。
アマゾンプライムに「太宰治短編小説集」という映像作品があったので見た。
2010年頃、NHKでオンエアされたものをまとめたらしい。
シーズン1エピソード1には「御伽草子より カチカチ山」「トカトントン」「女生徒」「キリギリス」が入っていた。
作り方はとても斬新で面白かったが、特に小説の文章がときどきそのまま文字として出てくる。
「御伽草子より カチカチ山」「トカトントン」は読んだことがなかったのでどうということはなかったが「女生徒」で驚いた。
小説の文章を読まされるとき、半世紀前の記憶が蘇った。
たった一度しか読んでないはずだが、次の文章が浮かぶところがあった。
ところどころ「次はこう」と思い出す。
「キリギリス」ははじめの数秒で物語をほとんど思い出した。
「女生徒」も「キリギリス」も、タイトルだけでは読んだかどうだか思い出さなかったのに。
半世紀のあいだ記憶に残る文章。
太宰はすごい。