ユングは「ヴィジョンセミナー」という講演録でこう語った。
「東洋の人たちは、いまいる状況のすべてについて感じている」と。
「空で鳴いている鳥も、近所で吠えている犬も、今通り過ぎた車も、西洋の人は偶然としか感じないが、東洋の人はそれが一体であることを知っている」と。
奇跡的な体験をした時、「すごい」と感じるが、日々日常の平凡な出来事も繊細に感じてよく考えると実はすごいことなのだ。
ただ自分が平凡としか感じていないだけ。
それを「すごい」と見つけた時、感じた時、自然と「ありがとう」と言いたくなる。
No.05447 25.10.23 整えられた場
森の中のせせらぎ。
朝の道場。
タクトに集中した演奏開始直前のオーケストラ。
お茶席。
普段の生活でもこういう場に触れていたい。
No.05435 25.10.01 神奈川沖浪裏
言わずと知れた葛飾北斎の富嶽三十六景の中の一枚。
見事な構図だ。
背中にこれがプリントされたTシャツを見つけ買ってしまった。
それを着て、ウキウキしながらこれを書いている。
No.05419 25.08.18 苦虫噛み潰した老人
どうも自分が苦虫噛み潰したような老人になってきたように感じる。
からだは軽やかには動かないし、話す速度も落ちているし、血管詰まって快活ではない。
いつも不機嫌な顔しているような気がする。
笑うしかないな。
No.05403 25.07.09 今宵の月
窓を開けて月を見た。
あと二日で満月だが、なんかいい月だなと思う。
いつも見る月と変わらない月だ。
なんでいい月だと思うのか。
理由はわからない。
No.05400 25.07.04 灰のお掃除
相方が毎日仏壇に手をあわせる。
僕も二、三日に一度は線香をあげる。
だからひと月もするとお線香立ては燃えさしの線香の根元が数十も溜まるので、線香を立てにくくなる。
すると相方は灰からピンセットで燃えさしを抜いていく。
一本一本抜いてはお線香立てのふちでトントンと灰を落としてティッシに取る。
はじめのうちはたくさんあるから簡単に取れるが、ある程度取り切るとなかなか探せなくなる。
すると相方は灰の中をピンセットでぐるぐるとまわしながら探り出す。
繊細な感覚を研ぎ澄まして探していく。
それを隣で見ているのが好き。
No.05392 25.06.10 言霊の復権
「言霊の幸わう国」、それが日本です。
なぜ言霊が幸わうのか?
幕末に日本に来た外国人は日本人が楽しそうにしていることに疑問を持っていたそうです。
なぜ日本人は普段の生活の苦労を見せず、みんなあんなに快活なのかと。
渡辺京二の著書『逝きし世の面影』には欧米人が書いたそのような文章の例がたくさん掲載されています。
欧米人が奇異に思うほど日本人は幸せそうだった。
なぜなら多くの日本人が「お天道さんが見ているから」と正直だったからです。
もちろん盗人や嘘つきがいなかったわけではないでしょう。
だけど、多くの人々は欧米人から見れば「馬鹿」がつくほど正直だったのです。
日本人にとっては不思議なことではないでしょうけど、欧米人にとっては信じられないことだったようです。
そんな国民性だから言霊が生まれた。
特に祝詞(のりと)や寿詞(よごと)など、当たり前に信ずるもので、「疑うか信じるか」と考えることすら不敬であったのでしょう。
それほど信じることが当たり前だったから言霊が生まれた。
現代は嘘が蔓延しています。
政治家が嘘を吐いたとかなんとかいう前に「自分の言葉を見つめるべき」だと気づきました。
多くの人がそうすることで次第に言霊が復権するように思います。
No.05388 25.06.03 生命はいつも発展途上
生命は流転していく。
環境が変わればそれに順応し、群れが変化すればそれにも同調する。
方丈記で言われたように常に変化し続ける。
自分もそうであり、その変化は積もり積もらないと認識しにくい。
No.05382 25.05.15 繰り返すことへの誘惑
気持ちいいものを繰り返し書いてきた。
それをするとき自らにかけた縛りが「同じことは書かない」。
何度かは同じことを書いてしまったかもしれないが、ずっと書かないようにしてきた。
だからこそ、実は「毎日のように同じことに気持ちよさを感じている」ことに直面し続けてきた。
それと同時に繰り返すことが別のレベルの何かを生むこととも格闘してきた。
そこで、そろそろ同じことを書いてもいいと縛りを外すことを考えている。
でも、それをやると何度も同じことを書いてしまうよなとも思う。
今日の散歩は青空が気持ちよかった。
そう思った日に青空の話を書いていたら、何度も青空のことを書くことになるだろう。
それはそれでいいと割り切ったら、どうなるんだろうと考える。
きっと日によって青空の何が気持ち良いのか、違う何かを見つけていくんだろうなと思う。
それを延長していくと、年代によって気持ちよさの中身が違うことに直面するんだろうなとも思う。
「日刊 気持ちいいもの」の第一回は「仲の良い人からのおはよう」という題だった。
それを今読むと、何かが違う。
つまり1999年の僕と今の僕は感覚が違うということだ。
そういう異なった僕を見つけるのもいいかもと思う。
No.05380 25.05.07 感覚のリニューアル
どうも感覚がリニューアルされたようだ。
ある時を境にさっぱりと変わったわけではなく、時間をかけて少しずつ変わったようだ。
だから何が理由で変わったのかはよくわからない。
聴覚が変わったのは理解している。
13,000Hz以上が聞こえなくなっている。
視覚が変わったのも理解している。
視力が落ちたし、以前より色覚も鈍くなった。
味覚は変わったかどうかよくわからない。
ただ、味覚にまとわりついている感情は変わった気がする。
温度に対する感覚や触覚は鈍くなったと思う。
勘は鋭くなった気がするが、老化現象で鈍くなった分を補おうとしている妄想かもしれない。
でも「感覚のリニューアル」だとしておこう。

