No.05387 25.05.29 まひ と をどり

舞と踊りにはどのような違いがあるかご存知だろうか?
見ればなんとなく違いがわかるような気がするが、折口信夫は動きの違いに着目して区別した。
舞はくるくると回る動きが含まれ、踊りには飛び跳ねる動きが含まれるという。
言われればそんな気がする。
しかも、舞は「くるふ」ことによって神がかりして舞うことだという。
「くるめく」という言葉がかつてあり、舞の速度を速くしたような動きだという。
「くるめく」ことで「くるふ」たらしい。
つまりそれで神がかりをした。
一方踊りは、踊り神が憑いたものを円満に返す行為だそうだ。
確かに盆踊りはいらした先祖の霊を慰め帰すためにするものと聞いたように思う。

No.05386 25.05.27 青銅縦目仮面

三星堆遺跡から出土された青銅縦目仮面。
その異様な形。
ヨウ素不足で甲状腺機能亢進症になった人を表現しているのではないかという説があるそうだが、僕は違うように思う。
これを見て最初に思い出したのは、Theo Haze氏のOniの連作だ。
普通の鬼とは全く違う。
目から星が飛び出している。
一度見たら忘れられない見事な現代アート。
青銅縦目仮面との時代を超えた響きあい。

No.05385 25.05.23 多響的統一

垣内松三の著作に多響的統一という言葉が登場する。
もとはローマン・インガルデンというポーランドの哲学者が生み出した概念だそうだ。
それを垣内は言葉の説明に使っていた。
しかし、この多響的統一という言葉は、あらゆる物質、生命、宇宙にも当てはまる言葉だと思う。

No.05384 25.05.20 ホウキとチリトリ

腰の曲がったおばあさんが、近所にある大きな公園に、ホウキとチリトリを持ってやってきた。
掃いてゴミを集めて帰っていく。
公園は外周二キロはある。
チリトリひとつでは取りきれない。
でも、気持ちが嬉しい。
ありがとうございます。

No.05383 25.05.19 麦茶

近所の製粉工場からいい匂いが漂ってきた。
この季節になると麦茶を焙煎し始める。
それを工場で売り出す。
昭和初期に作ったレンガでできた焙煎窯で作るらしい。
近所の奥様方が買っていたので買ってみた。
懐かしい味。

No.05382 25.05.15 繰り返すことへの誘惑

気持ちいいものを繰り返し書いてきた。
それをするとき自らにかけた縛りが「同じことは書かない」。
何度かは同じことを書いてしまったかもしれないが、ずっと書かないようにしてきた。
だからこそ、実は「毎日のように同じことに気持ちよさを感じている」ことに直面し続けてきた。
それと同時に繰り返すことが別のレベルの何かを生むこととも格闘してきた。
そこで、そろそろ同じことを書いてもいいと縛りを外すことを考えている。
でも、それをやると何度も同じことを書いてしまうよなとも思う。
今日の散歩は青空が気持ちよかった。
そう思った日に青空の話を書いていたら、何度も青空のことを書くことになるだろう。
それはそれでいいと割り切ったら、どうなるんだろうと考える。
きっと日によって青空の何が気持ち良いのか、違う何かを見つけていくんだろうなと思う。
それを延長していくと、年代によって気持ちよさの中身が違うことに直面するんだろうなとも思う。
「日刊 気持ちいいもの」の第一回は「仲の良い人からのおはよう」という題だった。
それを今読むと、何かが違う。
つまり1999年の僕と今の僕は感覚が違うということだ。
そういう異なった僕を見つけるのもいいかもと思う。

No.05381 25.05.11 川で泳ぐ夢

深くて透明な川の河原にいて、何かが来るのを待っている。
水中には大きな黒い岩が三つあって、それらに順番に乗っていくことで向こう岸に着くことができる。
黒い岩に乗らないと深い川底に引き込まれてしまうようだ。
向こう岸は岩でできた崖で、それに触れて帰ってこなければならない。
時を待って渡ることにした。
最初の岩はこちらの岸のすぐそばにあったから簡単に渡れた。
その岩に乗れば水の深さはひざ程度。
次の岩は少し離れていて泳いで渡る。
深いところほど流れが早く、危うく巻き込まれそうになるが、無事に渡れた。
立ち上がると岩の上に立って深さは腰程度。
最後の岩に渡ろうとする。
泳がずにも足を広げて渡ることができた。
三つ目の岩の上に立つと水の深さは足首程度。
向こう岸の崖には容易に触れた。
帰ろうとすると、来るときは川下に少し流されても構わなかったが、帰るためには水の流れに逆らわなければならないことに気づく。
何度か流されそうになるが、無事に帰ることができた。
往復できて嬉しかったが、なぜ向こう岸の崖に触らなければならなかったのか、理解できずに困った。
嬉しい感覚と困った感覚が心に同居する不思議な夢。

No.05380 25.05.07 感覚のリニューアル

どうも感覚がリニューアルされたようだ。
ある時を境にさっぱりと変わったわけではなく、時間をかけて少しずつ変わったようだ。
だから何が理由で変わったのかはよくわからない。
聴覚が変わったのは理解している。
13,000Hz以上が聞こえなくなっている。
視覚が変わったのも理解している。
視力が落ちたし、以前より色覚も鈍くなった。
味覚は変わったかどうかよくわからない。
ただ、味覚にまとわりついている感情は変わった気がする。
温度に対する感覚や触覚は鈍くなったと思う。
勘は鋭くなった気がするが、老化現象で鈍くなった分を補おうとしている妄想かもしれない。
でも「感覚のリニューアル」だとしておこう。