No.05432 25.09.18 極楽寺

江ノ電に極楽寺駅がある。
鎌倉大仏を見た帰り、どんな寺なんだろう?と思い、ふらっと降りた。
スマホのマップに従って歩いて行くと、入り口が閉まっていた。
その扉に「あちらから入ってください」と書かれていて、それに従うと、今まで歩いてきたのは無駄だったと知る。
駅からあっという間じゃないか。
炎天下歩かされたのでマップをののしる。
それは小さなお寺だった。
にじりぐちを通るように屈んで入った。
人は全然いなかった。
桜並木が参道になっていた。
静かで寂れていて極楽だ。

No.05430 25.09.12 観音三十三応現身立像

鎌倉 長谷寺の観音ミュージアムに観音三十三応現身立像がある。
観音経などに観音の化身として三十二の応現身が出てくるそうで(一体は観音様そのもの)、それら三十三体の仏像が展示されている。
帰ってから観音経を読んでみた。
観音経は法華経の観世音菩薩普門品を独立させたお経で、楠木 雅俊氏の訳した法華経のその部分を再読した。
すると、読みながら華厳教入法界品を思い出す。
観音経は観世音菩薩が民衆を教え諭すのに、いろんな姿になって教化することが書かれている。
そのとき相手に合わせて三十二の姿に変身して教え導く。
一方で、華厳経入法界品では、主人公の善財童子が五十三人の様々な人々や菩薩などに教え導かれる。
観音経では第三者からみて観世音菩薩が教えを説くさま、華厳経入法界品では、「観世音菩薩が導く」とは書かれてないが、様々な人々から教えを受けることで修行が進むさまを読まされる。
仏道に帰依して修行する人は、きっと自身が教えることで、三方からの体験を満たすことになるのであろう。
「第三者からの視点」「教え導かれるものからの視点」、そして「教える者からの視点」。
三方を十分に味わうことで、衆生には見えない何かが見えてくるのだろう。

No.05426 25.09.06 江島杉山神社

10年ほど前に一度だけ行った神社をふと思い出した。
また行ってみようかと思う。
徳川綱吉の宿病を癒し、関東惣録検校職に命ぜられた杉山和一が綱吉から「何が欲しい」と聞かれ、「ひとつでいいから目が欲しい」と答えたら、本所一ツ目の土地をもらったという。
そこに江ノ島から勧請して神社を建立した。
江ノ島の洞窟を模した洞窟も作られた。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p3709/

No.05425 25.09.05 スーフィーの物語

昨日の気持ちいいものを書いて、久しぶりに「スーフィーの物語」を読みたくなった。
いろんな精神的な教えとなる物語が書かれている。
多視点の価値を伝えるものもあり、ときどき読み返したくなる。
でも、アッタールの「鳥の言葉」を買ったまま積読状態だよなとも思う。

No.05424 25.09.04 旋回舞踊

はじめて目の前で旋回舞踊を見た。
踊り手は柚楽弥衣さんの Cosmic Chant に合わせて旋回舞踊を披露した。
ただただ速い速度で回り続ける。
まわりながら腕を伸ばしたり縮めたりしていく。
普通の人ならすぐに目が回ってしまうだろう。
彼女は黙って回り続ける。
相当な時間回り続けるので、その酩酊した感覚がこちらに乗り移ってくる。
元はスーフィーのメヴレヴィ教団の舞踊。
スーフィーとして高名なジャラール・ウッディーン・ルーミーが始めた。
「神のなかへの消滅」を求めて踊る。

No.05413 25.08.03 阿佐ケ谷バリ舞踊祭

昨晩、阿佐ケ谷バリ舞踊祭でバリ舞踊を鑑賞してきた。
知人が参加していたので様子を見に行ったのだが驚いた。
舞台脇にガムランの楽器セットが置いてあったので、奏者が来日しているのかと思った。
第一部では音源が流され、楽器はお飾りでしかなかった。
「なんだそういうことか」と思ったが、第二部から日本人と思われる奏者たちが演奏し、それに乗って舞踊が繰り広げられた。
第三部では奏者が交代した。
つまり日本にガムラン楽団が二つはあるということ。
二つが可能なら、全国ではもっとたくさんあるのかもしれない。
ガムランの息の合わせ方はよほど練習をしないと可能にはならない。
あれだけ見事な演奏ができる人たちがいるとは、と驚いた。
隣のおじさんが三部の途中で「これは紛い物だ」と言って席を立って行ったが、日本人がやっているんだから紛い物であるのは当然で、でもこのレベルが可能になるなら将来が楽しみになった。
https://asabalidance.wixsite.com/asabali

No.05409 25.07.25 朝粥

伊勢神宮下宮の入り口近くに朝粥を食べさせるお店があった。
今もきっとある。
それを頼むとお盆に載ってきた。
白木のお盆で小さな白い器が整然と並べられ、その美しさに唸った。
神宮の美しさが粥のお盆に盛られていた。

No.05399 25.07.02 アシタの祈り

さとうみつろうという作家が中心になって、7月4日21時から、世界中で一緒に祈ろうというイベントができた。
ことの起こりは7月5日に起こるといわれていた大災害。
災害の恐怖に意識が集まらないようにと、楽しいことをしようという趣旨で始まったようだが、いろんな人が日本各地で集まり始め、神鍋という場所では大規模なイベントが組まれ、その中でみんな一緒に祈りましょうと声をかけたら、世界各地のシャーマンが集まることになり、世界中のサイキックな能力者が時を同じくして祈ることになり、ついにはダライラマ法王も一緒に祈ってくださることになったそうだ。
怪しげかもしれないし、まったく意味のないことかもしれないし、スピリチュアルかぶれの人ばかりが参加するのかもしれないが、僕は7月4日の21時が楽しみ。
https://youtu.be/IBgjRsXhqnQ

No.05392 25.06.10 言霊の復権

「言霊の幸わう国」、それが日本です。
なぜ言霊が幸わうのか?
幕末に日本に来た外国人は日本人が楽しそうにしていることに疑問を持っていたそうです。
なぜ日本人は普段の生活の苦労を見せず、みんなあんなに快活なのかと。
渡辺京二の著書『逝きし世の面影』には欧米人が書いたそのような文章の例がたくさん掲載されています。
欧米人が奇異に思うほど日本人は幸せそうだった。
なぜなら多くの日本人が「お天道さんが見ているから」と正直だったからです。
もちろん盗人や嘘つきがいなかったわけではないでしょう。
だけど、多くの人々は欧米人から見れば「馬鹿」がつくほど正直だったのです。
日本人にとっては不思議なことではないでしょうけど、欧米人にとっては信じられないことだったようです。
そんな国民性だから言霊が生まれた。
特に祝詞(のりと)や寿詞(よごと)など、当たり前に信ずるもので、「疑うか信じるか」と考えることすら不敬であったのでしょう。
それほど信じることが当たり前だったから言霊が生まれた。
現代は嘘が蔓延しています。
政治家が嘘を吐いたとかなんとかいう前に「自分の言葉を見つめるべき」だと気づきました。
多くの人がそうすることで次第に言霊が復権するように思います。

No.05391 25.06.08 菊理媛神(くくりひめのかみ)

2002年に出版した「あなた自身のストーリーを書く」に菊理媛神の話を書いた。
菊理媛神は白山神社や白山比咩神社の御祭神で、日本書紀に一度だけ登場する神様。
イザナギのみことがよもつ平坂でイザナミのみことと別れるとき、菊理媛神が何かを言うと、イザナギのみことが誉めるのですが、菊理媛神が何を言ったのかはわかりませんでした。
ところが、あの本を書いて23年も経ってから、「なるほど」という気づきがありました。
素晴らしい秘密でした。
今年、政治界隈で不思議なことが連発しています。
日本も変ですが、世界中変です。
菊理媛神の隠された言葉が実現するんだなと思った。