No.05212 24.05.19 文字に真理は宿らない

この宇宙に存在するものは、すべて刻一刻変化している。
その変化はとても些細なもので、なかなか気づきにくいものかもしれないが、変化し続けていることは確かなことだ。
例えば、僕たちはいつも同じ場所にいると思いがちだが、宇宙的に見れば常に移動している。
地球は自転しているし、太陽系は回転しているし、銀河系も回転していて、いっときも同じ場所にいることはできない。
自分の体も変化してないようで刻一刻と変化している。
細胞が新しく生まれる一方で死にいく細胞もある。
人間の関係もどんどんと変化する。
社会も実は変化している。
数え切れないほどの変化の中で、僕たちはその変化にあまり気づかないし、気にもしていない。
そのような世の中で、言葉が果たして同じものであろうか?
文字やことばは固定されるが、そこに内包する意味は、その読み手によってどんどん変化していく。
その変化は、メディアが多様になったおかげで、加速度を増して変化している。
だから、文字やことばに真理はさらに宿りにくくなってきた。
そのことを知った上で真理を求める。
真理はきっといつも新鮮なものだ。

No.05206 24.05.09 帰ろう

友人が癌になった。
悪いやつじゃないけど、癖のあるやつ。
妹の言によると余命数ヶ月だとか。
げそげそに痩せてた。
「なんとかする」というが、なんとかなるんだろうか。
知っている治療法はいくつか教えたけど、本人が強い信念を持ってないと継続は難しい。
たまたま藤井風の「帰ろう」というOfficial Videoを見た。
慰められた。

No.05200 24.04.25 うまい文章

「この文章、うまいと思う?」
そう聞かれるとたいてい答えに困る。
文章の巧拙にはいろんな尺度がある。
すべての尺度をクリアする文章はないと言っていいだろう。
例えば、物理学者が書いた文章があったとしよう。
内容は専門性の高いもの。
近い分野の科学者ならスラスラと読めるかもしれない。
でも、専門知識が欠けている人にとってはとても読みにくい文章になるだろう。
つまり、読者が変われば、その文章の巧拙の基準も変わる。
そこで言われるのが「一般的読者にとって」という言葉。
これもまた難しい。
一般的読者ってどんな読者だろう?
雑誌の場合は「その雑誌を買うような興味・関心を持っている人」と、ぼんやりとではあるが読者を想定できる。
例えば車をテーマにした雑誌なら、「馬力」「トルク」「ホイールベース」なんて言葉は何の説明もせずに使うことができる。
でも女性誌にこれらの言葉を使うときには多少の説明が必要だろう。
だから、「僕にとってのうまい文章」は、スラスラと読める文章であるが、それが果たして他人にとっても読みやすい文章かどうかは、その人による。
そこで一般読者向けの文章は「中学生でもわかる文章」を書きなさいと言われることがあるけど、それだと説明がくどくなって読みにくくなることがある。
本当にうまいと感じる文章は、僕個人に当てられた手紙やメールで、何の澱みもなく読める文章が届いたときには「うまいな」と思う。
それはつまり書いた人が、僕の興味や理解していることをある程度把握していて、僕のために書いてくれた文章だから。

No.05198 24.04.23 書いてはいけない

森永卓郎氏の『ザイム真理教』『書いてはいけない』を読んだ。
末期の癌だと言われて、死ぬ前に書くべきことを書こうと決死の覚悟で書いたという二冊の本。
日本人はみんな読むべきだと思う。
そして何を思うのか。
この二書をネタにして「昼間でも聴ける深夜放送コンブラジオ」でお話ししました。
素人のYouTubeですが、この番組はもうすぐ再生回数1000回になります。
普段の数倍のアクセス数になりました。
もしよかったら、あなたの意見も聞かせてください。
https://www.youtube.com/watch?v=CruzExdS8-0

No.05192 24.04.14 皇帝ペンギンの子供たちが15メートルの崖を飛び降りる

200羽以上の皇帝ペンギンの子供たちが行進してきて断崖にでくわしたとき、彼らが海に飛び降りる様をナショナル・ジオグラフィックが撮影したものをYouTubeで見た。
はじめはみんな立ち止まってしまうが、一羽が飛び降りるとうしろのペンギンに押されるようにして次々と飛び降りていく。
新しい世界に一歩踏み出すさまは人間もペンギンも似ている。

No.05175 24.03.21 古文の朗読

YouTubeに古文の朗読を女声でしているものがあった。
その響きを聞いているとなんとも心地よい。
意味を深く考える前に、その響きでホッとさせられる。
その心地よさが意味を厳格に追うことを忘れさせる。
多少わからなくても「ま、いいか」という気にさせる。

No.05165 24.03.08 There must be more to life than this

動画が送られてきた。
フレディ・マーキュリーとマイケル・ジャクソンのデュエットの映像。
素敵な歌だったので、翻訳してみた。

もっといい人生があるはず。
こんなことのために生きてるんるんじゃない。
愛のない世界でどうすりゃいいのさ。
傷ついた心を癒して、
泣いてる人たちの世話をするしかないのか。

もっといい人生があるはず。
見た目以上に素晴らしい。
黒か白かなんて問題じゃなく、
いのちには無限の可能性が息づいているはず。

なんでこの世には憎しみが渦巻いているんだ。
人はそこかしこで死に、
僕たちが作り上げてきたものを自らの手で壊し、
たくさんの人が人権を守ろうと死に、
そんなことに対して仕方ないと言うしかないのか。
「これが人生さ」と。

殺し合いよりもっといい人生があるはず。
僕たちが生き延びるために。
愛で満たされた世界で暮らしたい。
そうすりゃみんな平和でいられる。

もっといいいのちの活かし方があるはず。
こんなことのためにいのちはあるんじゃない。
愛で満たされた世界を願って生きる。
もっといい人生があるはず。

人生はもっと素晴らしく、
いのちは可能性に満ちている。
もっといい生き方が必ずある。
それを一緒に生み出そう。

No.05158 24.02.27 YouTube

映像の編集をした。
映像は文章とは全然違う。
文章ではわかりにくいと感じることが、映像の補助によってすんなりと受け取れることはあるだろう。
逆に、きっと文章なら受け取れることが、映像になると胡散臭く思うこともあるだろう。
何がどう働くのか、実験中、勉強中。

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「ヌースフィアってなに? 第11回 高次の人格を理解する7 自分について」をアップしました。
ご覧ください。
https://youtu.be/7NLSlmx8h3k

No.05153 24.02.20 コミュニケーションによる共生

人類はずっと「もう人間は変わらない。進化の究極が人間」と思い込んできた。
ところが、丁寧に観察すると、人間は少しずつでも進歩していることがわかる。
技術的にはこの数十年で飛躍的に進歩した。
ところが、その技術を支える人間の心はどうだろう?
戦争を許容しているという一点で、ほとんど進歩していない、と考えることに賛同してくれる人は多いのではないかと思う。
だけど、心理学は進歩した、スピリチュアルな価値は高まった、しかし、心を病んでいる人は増えているような気がする。
なぜだろうか?
たった一つのことに責任を負わせることは正しくないと思う。
様々な要素の莫大な繰り返しが、些細な問題を増幅しているように感じる。
だとすると、もう人間には手の打ちようがない。
そんなことを考えてしまうのも致し方ないようにも思える。
でも、もし人間が万物の霊長だとしたら、常に自分という存在を超えていかなければならない。
様々な要素の莫大な繰り返しを適切に使うことを人間は覚えたはずだ。
もし適切でないなら、どの部分が適切ではなく、どの部分をさらに伸ばしたらいいのか、考えるべきだ。
日本の国会では議論するのを諦めている。
これは最もしてはならない態度だろう。
では、何を改めたらいいのか?
過去のやり方を手放さなければならない。
手放して、新たなやり方を試していくべき。
どんなやり方を?
まずは多数決を手放し、議論によってシステムの精度を高める方法とそれを進めるための態度を学ばなければならない。
議論するとき、勝ち負けを手放す。
どういうことかというと、勝ったものを推し進め、負けたものは諦めるのではなく、負けたものにも可能性を与え続けることで、一時的には勝った論に席を譲っても、充分に成熟した論であれば再び議論の席に戻れる可能性を残しておく。
そのような考え方が大切になるのではないか?
議論に費やす時間は増えることになるだろう。
大きな権力を握ったものには厄介な考え方だろう。
でも、そのようにしていかない限り、もう人類の存続は難しい状態になってきた。
単純な仕事はみんなロボットやAIに任せて、人間でなければできない仕事に注力できるよう、その基礎を作るべき時が来た。

No.05152 24.02.19 Welcome to complex system

いろんなところで「自分に正直に」と言われるようになってきたけど、「自分に正直であることが難しい」ことに気づかなければならない。
内省してみると自分にはたくさんの立場があることに気づく。
そして、それらの立場たちは、常に同じ意見を持てるようなものではないことが多い。
つまり立場によって自分の意見が分裂させられる。
もしそのことに気付かないと、自分の心の「ある部分」を無視することになる。
例えば、かつてのtwitter、現在のXで、本名がわからないようにペンネームを使っている人は、公では言えない意見を持っていることに気づいている。
だからXではペンネームを使い、自分が誰かを知られないようにしている。
そういう人は、自分の意見が「実際に言いたいこと」と「立場上言わなければならないこと」が分裂していることに気付いている。
心配なのは、そういう分裂を許容できず、何かの立場から言わなければならないことだけが自分の意見だと思い込んでいる人だ。
そういう人が心のバランスを崩すようだ。
自分の内側でいろんな立場からの意見を吟味して、立場ごとに異なることを意識して、できればそれらを言語化するといい。
今はいくつもある立場のどれからも認められる答えは出せないかもしれない。
であれば、立場ごとに違う答えがあることを認めて、それを表現したらいい。
それを繰り返すことで、どの立場からも認められる答えが、いつかは出せるようになるかもしれない。
なぜそのようなことが言えるのか?
多くの人がたくさんの立場を抱えていて、立場ごとに違う答えを持っていることに気づき、そのことが常識のようになれば、立場ごとに違う答えを持っていることはきっと、賞賛されることになるから。
そうなってはじめて許容される答えが生まれるはず。