No.05096 23.11.22 気持ちいい状態で書く

「日刊 気持ちいいもの」を書くにあたり最近注意していることがある。
それは「気持ちいい状態で書く」ということ。
「気持ちいい状態を思い出して書く」のとはちょっと違う。
「ああ、あのときは気持ちよかったな、こんなふうに」と書く文章と、「今、気持ちいい状態で書く」というのでは微妙に違う。
それでできあがる文章はもしかしたらあまり違わないかもしれない。
でも、その違いについて最近は考えながら、感じながら書いている。

No.05089 23.11.13 ドーナツの穴

あなたは目の前にドーナツの穴を見ることができるだろうか?
ここにもそこにもあそこにもある。
ドーナツがあればドーナツの穴を見ることができるが、ドーナツがないとその穴だけは見えないと思い込んではいないか。
ドーナツの穴は単なる空間だ。
どこにでもある空間。
あなたはドーナツの穴がどこにでもあると思えるだろうか?

No.05087 23.11.08 言葉は事端

本を読んでいて、「事端」という言葉を見つけた。
「事端」と書いて「じたん」と読ませる場合、意味は出来事のきっかけのことをいう。
一方で「事端」と書いて「ことば」と読むことがある。
それは古い「ことば」に漢字をあてる際に「事端」と書いたそうだ。
その意味は、もちろん「ことば」。
そしてそのニュアンスが面白い。
ある出来事を表現する時、文章では「事の端」程度のことしか伝えられないから「事端」なのだそうだ。

No.05073 23.10.20 死を思う

入院以来、からだの節々が痛むと昨日書いたが、ずっと以前にこんなことを書いたのを思い出した。
痛みがあるだけ幸せ。
死んだら痛みも感じることはない(だろう)。
どんな感覚も生きているからこそ。
痛みよ今日もありがとう。

No.05060 23.10.01 古い雑誌

ときどきうちに置いてある古い雑誌を読む。
10年以上前の雑誌。
時代が違うとニュアンスが異なる。
デザインも少し違う。
自分が生きてきた時代の雑誌であれば、なんとなくその時代を思い出せる。
でも、生まれる前の時代のものは、どう感じていいのかわかりにくい。
きっと本もそうなのだろう。
古い本を読むとき、その時代のことをよく調べないときっと誤解する。
古い雑誌はそんなことを思い出させてくれる。

No.05058 23.09.29 言霊-ホツマ

僕が会社員の頃、「言霊-ホツマ」という本を買った。
不思議な本だ。
その本によれば、漢字が渡来する以前から日本には文字があったという。
その文字をヲシテと呼ぶが、「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」という三書がヲシテで書かれているという。
「ホツマツタヱ」は景行五十六年に三輪臣大直子命(みわのとみおおたたねこのみこと)によって編纂・献上されたという。
古事記に書かれていて行方のわからなかった旧事紀もかつては偽書とされていたが、再生されているやに聞く。
古代史にもいろんなどんでん返しが起きてくるかもしれない。

No.05057 23.09.28 ある特別な感じ

ある特別な感じがあると、それを僕は貴重なことだと思う。
朝日が昇る海に光の道ができるとき。
鳥が舞い降り何かいいたげなそぶりを見せるとき。
大きな二重の虹がかかったとき。
そういうことがあると、貴重だなと思う。
でも、とても些細で当たり前にしか見えないことでも、それが起きることは滅多にないとき、それは貴重なことではないか?
玉子を割ったら黄身が二つ出てきたとか、大きなはまぐりに小さなカニが隠れていたとか、本棚に父から母へのラブレターを見つけたとか、押入れの奥にしまわれていた本を読んだらことのほか面白かっただとか、友達を紹介すると言われて会ったら10年以上前の知り合いだったとか、一生懸命調べたことに疑問を持っていたら、たまたま会った人にその詳細を教えてもらうとか。
当たり前のことの中に、ある特別な感じが埋まっているのを、なぜ僕は気づかなかったのだろう。

No.05038 23.08.05 農民芸術概論綱要

宮沢賢治の論文。
以下に序論を引用する。

序論

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙しく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である

宮沢賢治著 農民芸術概論綱要

大乗仏教の基本的考え方が表現されている。
大乗仏典はすでに聖徳太子の頃に日本に来ていた。
日本人の考え方の根底に、このような感覚があることを誇りに思う。