今日も秋晴れだ。
スカッと晴れてて気持ちいい。
日光に感謝だ。
太陽がなかったら、僕たちは生きてはいけない。
巡り巡っていろんなことへの恵みになっている。
太陽ありがとう。
No.05286 24.09.23 2010年
映画「2001年宇宙への旅」の続編「2010年」を見た。
いろんな感動があった。
前作「2001年宇宙への旅」でなぜHAL9000が狂ってしまうか明かされる。
もしそれが本当だとすると、地球上のAIもみんな狂うことだろう。
以前から「ヌースフィアってなに?」という動画をYouTubeにアップしてきたが、その中の考察でまだ発表してないが、このまま人間文化の中にAIが育っていくと、大きな問題を孕むだろうと思っていて、その理由とHAL90000の狂う理由がほぼ同じで驚いた。
1960年代にこのことを理解していたアーサー・C・クラークはやはりすごい人だ。
No.05234 24.07.03 令和6年7月3日朝の夢
またまた説明しにくい夢を見てしまった。
正しく順番に説明することはできそうもないので、説明できるところからしていくと、こんな感じになる。
人間は自分を認識するのに、環境との関係をほとんど考えないが、自分の考えや思いが、環境からも生まれてくることは明らかだ。
つまり古代に生まれていれば、科学的な考えを持てる人はほとんどいなかった。
だけど、科学的な現代に生まれれば、容易に科学的な考えを得ることができる。
そこで問題が生じる。
今生きている自分が、過去に生きていたであろう人より優れていると思い込むこと。
その思い込みはまだ許容できる。
比べる土俵が整うことはないから。
しかし、その思考の延長線上に問題を生み出す思考が生まれる。
現代の科学をほとんど理解している人が、それらを理解しない人より優れていると考えること。
これがなぜ問題か?
人間は、すべての知恵を得ることができないから。
より理解した者が、理解できない者を差別する。
このような幻想を持ってしまうから。
どのような理解を持っていようとも、その理解は限定的なものでしかない。
ニュートンは宇宙を理解したと思ったかもしれないが、アインシュタインによってそれは幻想だったことがはっきりとした。
同様に、どんな智慧も、知れば知るほど奥行きが生まれてくる。
宇宙に対して謙虚にならざるを得ない。
どんなに知的な人間でも、宇宙の知には敵わない。
にもかかわらず、人間は知的に劣ったものを見下す傾向がある。
それの何が問題かは、ここまでの話が理解できた人には色々と思い浮かぶだろう。
どんなに崇高なことを考えていても、何か行動しない限り、その考えは存在しないも同然だ。
つまり、崇高なことを考えた人は、それを表現しなければならない。
文字にしてもいいし、絵にしてもいいし、音楽にしてもいいし、行動してもいいし、新たなメディアを作ってそこに表現してもいい。
崇高な考えほど、理解してもらいにくい。
簡単に理解してもらえる考えは、すでにたくさん存在しているだろう。
だから、崇高な考えは孤立しがちだ。
それが個人の内側に生まれても、理解してもらえないことで失われていくことが、過去にどれほどあったことか。
今生まれている崇高な考えは、その多くが、現在の環境がこのようだからこそ生まれたものが多いはず。
同様に、古代における崇高な考えは、古代の環境の中にいないと理解しにくい。
だから、僕たちは古代の遺跡がなぜ作られたのか、わからないことが多い。
つまり、自分が形作っている考えは、自分が作っただけではなく、今ある全存在との相互関係から生まれてきている。
しかし、それであっても宇宙の知には敵わない。
人間が持つ崇高な考えは必ずアップデートされるはず。
ここまでは、誰でも理解できる常識的な話だが、ここから先が夢の話だ。
あくまでも僕の夢なので、事実かどうかは問わないでほしい。
世界を掌握したと考えている一握りの人たちは、さらなる知を求めて、試験や実験を繰り返す。
しかし、知れば知るほど知りようがない知恵がどこにあるかを知ることになる。
生命はなぜ存在するのか?
これは誰も知りようがない深遠な謎だ。
知の誘惑に駆られた学者は不遜にもその謎に挑戦する。
その結果、何が起きたのか。
自らが優秀だと考えているグループが、劣っていると思い込んでいるグループに対して、してはならない実験をする。
それが明確に現れたのがタスキギー梅毒実験。
1997年5月にクリントン大統領が謝罪して明るみに出た。
1932年から1972年まで行われたと言われている。
アラバマ州タスキギーにて、アメリカ公衆衛生局が梅毒の臨床研究をした。
公には「Bad Blood(悪い血液)」の治療のためとしていたが、実際にしていたことは「もし梅毒を治療しなかったらどうなるのか?」。
これを黒人を対象に研究した。
実験対象になった黒人たちは治療を受けていると思わされていた。
そして実際には、すでに罹患した、または人によっては罹患させられた梅毒に対して可能である治療を受けることはなかった。
これがアメリカにおいて、黒人がなぜワクチンを打ちたがらないかの大きな理由の一つだ。
そのようなことが現代でも起きないとは限らない。
遺伝子の謎はとても深い。
そう簡単に解き明かすことはできない。
それをどうしてもしたいと考える一握りの人間が、自らを優れた存在だと考え、劣った存在を犠牲にしてもそれを解明するのは、優れた存在の義務だと考える。
そのような勘違いが起きているのではないか?
このような考え方は勘違いである。
なぜなら、現在人間が持ち得ている知識は、時が経てば更新されていくべき、浅薄なものでしかないから。
AIが完成すれば絶対的知恵が生まれるというのも勘違いだ。
人類はさらに深甚な、人間の頭脳では整理しようのない、広大な知恵へと導かれていくだろう。
そのときはじめて、現在持ち得ている知恵が、浅薄であったことに気づく。
そして、その浅薄な知恵に導かれてそれをAIによって拡張し、地球に適応させるなら、人類は滅びて当然だろう。
人類だけではなく、地球上の生命がすべて絶滅するかも知れない。
そうやって絶滅した生命が今まで全宇宙にどれだけ存在したのだろう?
その危機を乗り越えた存在は、まだごく少数で、そのような文明はそれを他の星に伝えたいとは思うかも知れないが、実際には伝えることができないので、ただ見守るしかない。
なぜ見守るしかないかといえば、それを理解する概念を生み出していない生物には、どうやっても伝えられないからだ。
言葉を持たない猿に、愛を伝えようとしても無駄なのと同じように。
だから、今ある存在を大切にして、少しずつ前進していくしかない。
環境を育て、自分のビジョンを育て、それに関わる他の存在と一緒に育ち、新たなる概念を生み出していく。
こういった夢を、わずかな時間に、多次元的に見た。
No.05212 24.05.19 文字に真理は宿らない
この宇宙に存在するものは、すべて刻一刻変化している。
その変化はとても些細なもので、なかなか気づきにくいものかもしれないが、変化し続けていることは確かなことだ。
例えば、僕たちはいつも同じ場所にいると思いがちだが、宇宙的に見れば常に移動している。
地球は自転しているし、太陽系は回転しているし、銀河系も回転していて、いっときも同じ場所にいることはできない。
自分の体も変化してないようで刻一刻と変化している。
細胞が新しく生まれる一方で死にいく細胞もある。
人間の関係もどんどんと変化する。
社会も実は変化している。
数え切れないほどの変化の中で、僕たちはその変化にあまり気づかないし、気にもしていない。
そのような世の中で、言葉が果たして同じものであろうか?
文字やことばは固定されるが、そこに内包する意味は、その読み手によってどんどん変化していく。
その変化は、メディアが多様になったおかげで、加速度を増して変化している。
だから、文字やことばに真理はさらに宿りにくくなってきた。
そのことを知った上で真理を求める。
真理はきっといつも新鮮なものだ。
No.05128 24.01.09 華厳経は何が面白いの?
それには簡単には答えられない。
華厳経にはいろんな内容が精緻に折りたたまれ、比喩となり、こちらの知識を刺激して、解明してくれるから。
例えば、毘盧遮那仏を宇宙と見立てると、現代の宇宙物理学を教わっているかのように思えてくる。
如来や菩薩の会話の構造は、ホロンに関して教えられているようだ。
その内容がなぜ言葉にしにくいのかというと、第一章にあたる寂滅道場会の最後に童子(こどもor青年)が出てきて、仏と会話をし、悟りとはどれだけ素晴らしいことかと話すのだが、その会話はほんの五十行程度で終わる。
華厳経の最終章である入法界品では、文庫本三冊で善財童子がどのように悟っていくかが示される。
その方法は基本的には悟ったといわれる人たちに会って、その話を聞いていくだけなのだが、いろんな人に会い続けるうちに次第と童子の心の中に生まれてくる内容が大きくなっているだろうことが読み手に推測され、書かれていることが理解されるのと同時に、書かれていないことも大きく膨らんでいく。
何度も何度も似た話を繰り返されたりもするが、そのことによって、その内容のわずかな違いが大切であることに気付かされ、そのわずかな違いに注意を払い出すと、その理由が見えてくるようになる。
寂滅道場会の最後に五十行程度で記されていたことが、実は如来になると文庫本三冊分の膨大な知恵になっていることが明確になる。
つまり華厳経で教えてもらうことは、言葉で簡単に教えてもらうことがどれも、実はものすごい時間や空間や人々の会話や、深い知恵によって作られてきた飛んでもなく尊いものであることを理解し、常にそのことを背景にあらゆることを感じるというのはどういうことであるかに目覚めていることとはどういうことかを伝えてくれている。
つまりそれは、どんなに簡単に思える存在でも、実はものすごい時間や空間や生死を通して作られてきた飛んでもなく尊いものであることを理解することであり、それに目覚めた状態で世界と対峙するとはどういうことかを教えてくれる。
だから、読む人によって見えてくるものはきっと違い、その違いがガンジス川の砂粒の数ほど多いのだろうことが理解される。
No.05121 23.12.30 揺らぐ
風になびくカーテン。
輝く水面。
せせらぎ。
遠くから聞こえてくる喧騒。
瞬く星々。
原子核のまわりをめぐる電子や、銀河を巡る星の流れにも、それを感じてみたい。
No.05070 23.10.17 エンカウンターズ-UFOとの遭遇
ネットフリックスの新番組に「エンカウンターズ-UFOとの遭遇」がある。
UFOとの遭遇に関するドキュメンタリー番組。
第一回には福島での原発事故以降の話が出てくる。
隠されていた出来事が少しずつ明らかにされてくる。
No.05034 23.07.31 日光燦々
空からはいつになく強い日の光が燦々と照り続ける。
これだけ光り輝くのは何かいい兆候かもしれない。
体調を感じながら、浴び続けるのはいいだろう。
意識の門が開くかも。
No.04925 23.02.10 本当のことはわからない
この宇宙の本当の姿を人間は理解できないという話がある。
そもそも本当の姿とは一体どういうことか?
イルカが見た宇宙と、犬が見た宇宙と、昆虫が見た宇宙、それぞれに別のものが見えるのだろう。
同様に、人類以上の知的生命体がいたとして、彼らは宇宙をどのように見るのだろう。
僕たちが宇宙を見る見方は、人間にだけ許されたもの。
人間として宇宙をどう感じるかは解明できたとしても、それが本当に宇宙の姿かというと、心許ない。
だとしても、人間は真理を求め続ける。
No.04887 22.12.18 死は存在しない
田坂広志氏の新刊『死は存在しない』を読んだ。
素晴らしい本だと思った。
ゼロポイントフィールド仮説の実態がわからなかったので、この本の内容全体が正しいことなのかどうか、僕には語れないが、その仮説が正しいとすると、多くのことが見えてくる。
僕の考えととてもよく似ているので、ゆくゆくはその些細な違いについてはどこかて発表して行きたい。
YouTubeで公開している「ヌースフィアってなに?」で少しずつ説明していくことになると思う。