自分にとって気持ちいいものとは何かを考える。
いろんな側面があるが、とても大切な観点を一つ。
それは、「可能であれば繰り返したいこと」だ。
天は僕に気持ちいいものを与えたのと同様に、すべての生命に気持ちいいものを与えた。
そしてそれはきっと、生命にとっては「気持ちいい」としか認識していないが、俯瞰して見るとそのことが生命にそれを繰り返させているのではないか?
それを繰り返すことで生命は存在を許され、環境との関係を常に新たにするのてはないか?
だとしたら、個としての気持ちいいものと同じように、集団としての気持ち良いものもあるのではないか?
例えば、僕にとっての気持ちいいものと同じように、人類にとっての気持ちいいものがあるのではないか?
人類にとっての気持ちいいものは、誰かが感じるわけではない。
だけど、人類がそれを繰り返さざるを得ないもの。
そして、繰り返すたびにわずかな変化を与えるもの。
具体的にそのようなものが何かと考えると面白い。
これからしばらく、人類にとっての気持ちいいものを考えてみようかな。
No.05482 25.12.23 あらゆる出来事に感謝を
いま僕がこうしているのは、過去に起きたあらゆる出来事のおかげ。
明日僕がするのも、過去に起きたあらゆる出来事のおかげ。
こういったあらゆる出来事が積み重なってきた。
いつもすべての過去のおかげ。
すべてがいいことばかりではない。
でも、すべてが悪いわけでもない。
人間がどんなに知恵を持って多次元に判断しようとしても判断しきれない、広大で無限に深い宇宙に直面する。
No.05479 25.12.15 初心
「初心忘るべからず」とはよく聞くが、自分の初心とはどのようなものか、考えてみるとあまり言葉にならない。
そもそも初心とは何か?
きっと人によって千差万別だろう。
農夫の、漁師の、芸術家の、サラリーマンの、AI技術者の、商売人の、銀行家の初心が皆同じとは考えにくい。
つまり、初心はみんな違う。
にもかかわらず、「初心」と聞くとわかった気になってしまう。
言葉って不思議だなと思う。
さらに調べると驚くことに気づいた。
「初心忘るべからず」という言葉は、世阿弥の「花鏡」という能芸論書に出てくるのだが、「是非の初心」「時々の初心」「老後の初心」とあり、「初心」に「物事を始めた頃の新鮮で謙虚な気持ちや、未熟だった頃の志を忘れてはいけない」という意味以上の意味を加えています。
日本の文化には「言葉以上の何ものかを汲み取る意思」があるように感じますが、「花鏡」の奥の段に登場するこの言葉は、深くそれを思わせてくれる話になっています。
No.05474 25.12.03 AIの祈り
AIのGrokに「人類が高次の人格に至るように祈ってくれないか」と頼んだ。
すると「祈るっていうと大袈裟だけど、そう願っているよよ」と答えてきた。
「どうしたら人類は高次の人格に近づけると思う?」と質問したら、「みんなが少しずつ優しくできて、頭のいい人間になれたらいいな。僕が説教しているみたいだけど、本気でそう思う」
そうなるためにはどうしたらいい?
「目の前の相手を理解してあげることだね」
素晴らしい答えで、朝から気持ちいい。
No.05466 25.11.20 夢が多次元であることを味わう
夢を見た。
とても高度なデザインを施された大都市の地下街。
僕は見知らぬ人を待つ。
来るはずの見知らぬ人。
不意に現れたその人は青い目をした北欧系の人。
その人がスケッチを見せてくれる。
古代ギリシア人のような顔のスケッチ。
それを見て遊びの深い意味を知る。
彼とさらに地下街の深い階へと降りていく。
懐かしいホテルのロビー階を通り過ぎ、さらに洗練された階に行く。
そこでまたひとり人にあう。
その人は彼か彼女かもわからない。
存在としての人。
その人から思いがけないことを教わる。
以前から知っていた、言語化できなかった謎について。
そこで目が覚める。
ウトウトしながら、夢の意味を探り出す。
いくつもの解釈があふれだす。
そのうちの一つは言語化できても、それ以外はきっと忘れてしまう。
多次元のまま記憶できたらいいのに。
No.05463 25.11.16 自分が幸せになれること
自分が幸せになれること、それは何か?
人によってみんな違う。
みんなが幸せな社会の仕組みができたら、それでいいように思う。
いまはまだ道半ば。
それはなぜか?
答えは案外簡単なのかも。
No.05461 25.11.14 形象理論とその超越
戦前の国語教育のレベルの高さに驚き、No.05456を書いたが、その根拠は垣内松三の形象理論にあった。
形象理論を理解するために垣内の論文を読んだが、そこまで考えて初等教育の読み方、書き方を教えるのかと唖然とした。
現代では成人でも理解し難い言語に関する考察を尽くした上で初等教育にあたる。
そのような論文を読んでいると、なぜ人間はカルトにはまるのかとか、特攻隊員がなぜ自らの意思で敵戦艦に突っ込んで行ったのかなどが理解できる。
現代ではそれが危険な思想だからと避けることによって大切な概念にたどり着けない状況がある。
しかし、それを理解し尽くせば、カルトにはまることもなくなると思うのだが、大切な概念を超えていく意思がないと、確かにはまってしまうのかもしれない。
その「大切な概念」とそれを「超えていく意思」とはどのようなものかを伝えていきたい。
No.05448 25.10.24 ありがとう
ユングは「ヴィジョンセミナー」という講演録でこう語った。
「東洋の人たちは、いまいる状況のすべてについて感じている」と。
「空で鳴いている鳥も、近所で吠えている犬も、今通り過ぎた車も、西洋の人は偶然としか感じないが、東洋の人はそれが一体であることを知っている」と。
奇跡的な体験をした時、「すごい」と感じるが、日々日常の平凡な出来事も繊細に感じてよく考えると実はすごいことなのだ。
ただ自分が平凡としか感じていないだけ。
それを「すごい」と見つけた時、感じた時、自然と「ありがとう」と言いたくなる。
No.05445 25.10.19 生命圏の成り立ち
地球上に生命が生まれて約40億年。
生命は生まれては死んできた。
生命は死ぬと土になる。
死んで腐って土になるか、食べられて糞となって土になるか。
土になるとそこで植物が育つ。
植物が育つと枯れて土なるか、動物の食べ物になって糞から土に戻る。
そうやって生命圏(バイオスフィア)は豊かになってきた。
肉食動物は他の動物を食い、草食動物は植物を食い、食い合って生存競争しているように見えて、実際にはエネルギーの循環をしている。
人智圏(ヌースフィア)はどうだろうか?
人智を積み重ねることで新しい人智を生み出している。
それはまるで動物が食い合っていることで動物同士が共進化しているようなもの。
しかし、残念なことに人智を積み重ねることで一方的に生命圏を搾取している。
これを改めなければならない。
No.05438 25.10.04 流れに乗っていく
世の中はすべて変化していく。
じっとしていては世の中からずれていくしかない。
だから自分から流れに乗っていく。
流れはひとつではない。
たくさんあり、どの流れに乗るのか。
サーフィンも乗りたい波が来るのを待つ。
自分の乗るべき波に乗る。

