高校一年のとき、吹奏楽部の先輩の髪型が良くて、「どこで髪を切っているのですか?」と聞いた。
「男爵だよ」
先輩とは中学も一緒だったので、男爵という理髪店はうちのそばにあった。
その理髪店の何がいいのか言語化するのは僕には難しい。
でも、なんとなく綺麗にまとまるのだ。
「他の理髪店と切り方が違うんですか?」と男爵で聞いたことがある。
「なんとかカットしているからね」
「なんとか」は忘れてしまった。
「それはどういうカットなのですか?」
聞くと、普通の切り方はこう、なんとかカットはこうと違いを見せてくれた。
でも、僕にはその違いをすぐには把握できなかった。
「そのカットはどこかで習ったのですか?」
「イギリスのヴィダル・サスーンで習った」
当時、ヴィダル・サスーンのシャンプーなどのCMが流れていた。
なんかすごいところで習ったんだなと認識した。
はじめて行ったとき以来、二ヶ月に一度程度、40年以上男爵に通った。
気さくな夫婦がやっていた。
のちのち知るが、ご主人は三代目で、創業120年近くの老舗だった。
先日行くと、「今月末で辞めるんだ」という。
「もったいない」とは思ったが、事情を何も知らない者がなんだかんだ聞くのは鬱陶しいだろうと思ってやめた。
お店がなくなると思うと、さて次回からどこで髪を切ったらいいのか困る。
髪を切ってもらうたびに心地良かったことを思い出し、「40年間ありがとうございました」と店をあとにした。
No.05275 24.08.31 夏休み最後の日
学生を卒業してから40年も経つのに、いまだに8月31日は夏休み最後の日だ。
どれだけ僕の思考を拘束しているのだろう。
9月になる瞬間、ちょっと寂しい。
いいかげん卒業したほうがいいと思うが無理そうだ。
人生最期の走馬灯にも出てくるよ、きっと。
No.05271 24.08.27 寝入りに見るイメージ
布団に入って眠りにつこうとすると、いろんなイメージが浮上することがある。
とても鮮明なイメージ。
たいていは見たことのないイメージ。
見たことのないイメージは説明ができない。
具体的なものが重なっているイメージは一つひとつ分解して説明できるが、多くの場合、抽象的で説明ができない。
説明ができるもので最近見たのは、針金が複雑に絡み合った立体物。
そのところどころに人形やマスコットが吊り下がっていた。
なんでそんなものが見えるのか、理由はわからない。
でも、見ていると面白い。
視点の移行に伴って、空間に視点が浮かんでいることがわかった。
肉体がある視覚では、針金のあいだに入っていくことはできない。
No.05268 24.08.20 31℃の外出
午前中、31℃のときに自転車で走った。
35℃で走るとトンデモナイが、31℃での自転車行は幼い頃の夏休みを思い出させてくれる。
日差しが肌をチリチリさせる。
日陰に入ると少し涼しい。
肌の表面をうっすらと汗が覆う。
こんな暑さの中、近所のプールにかよった。
売店でおでんを売ってた。
チェリオの味はそこで覚えた。
記憶の底に眠っていたことが浮上する。
No.05266 24.08.17 走る感覚
入院して以来、走れなかった。
かつてなら走って疲れた分、呼吸数が上がったが、ちょっと前まで呼吸数が上がらずに疲れてしまった。
呼吸と筋肉が連動しない感じだった。
この感覚は、以前の僕には理解できないものだった。
一年半くらい前から自転車では、疲れると呼吸が上がるようになった。
二ヶ月前くらいから、散歩の途中で50mほど走るようになった。
走るといっても、若い人がせっせと歩く程度のスピード。
はじめの頃は右足と左足のバランスが取れず、ヨタヨタしていた。
それを何度か繰り返し、今日は三キロ歩く間に100mほど二回走った。
これをしばらく繰り返してちょっとずつ距離を伸ばしたら、一キロくらいは走れるようになるかも。
以前のジョギングのときの爽快さを少し思い出した。
No.05261 24.08.11 淀んだ空気を祓う
日本には「祓う」という概念がある。
英語にすると「exorcise」というらしいが、ニュアンスがちょっと違うように感じる。
「exorcise」は「悪魔を祓う」という意味で、日本の「祓う」には確かに「魔を祓う」という意味もあるけど、必ずしも「魔」や「悪」ばかりではなく、「淀み」や「不明瞭な感覚」も「祓う」ことができるだろう。
つまり「祓う」には、多神教的なニュアンスが埋め込まれており、必ずしも悪くなくても、意見や解釈が複雑に絡み合っていてほぐすことができない状態を落ち着かせることも「祓う」ことになるのではないか。
「exorcise」は祓えたか否かがはっきりとするが、「祓う」は複雑な状況を抱え込んで白黒つけるというよりは、考えるべきことに意図を向けた結果、「よし」と言える状況かどうかが大切で、無理に解決に追い込まなくてもいいような気がする。
日本のあらゆる部分が祓われ、世界に波及しますように。
No.05260 24.08.10 幻想を追う
気持ちいいものを感じるための瞑想をする。
大地に立って何かを動かす。
風のような、波のような、何かを。
爽快だった。
だけど、言語化が難しい。
それは正しくは、風でもないし、波でもない。
No.05256 24.08.06 根源を思い出す
自分はなんで生まれてきたんだろう。
自分は何をしようとしているんだろう。
自分は何をしたいんだろう。
直接思い出せない僕は、気持ちいいものを思い出すことで、らっきょうの皮をむくように少しずつ、根源を思い出そうとしてきた。
根源のまわりについていた皮はかなり落ちた。
認めるのか、そこに現れたドーナツの穴を。
No.05253 24.08.03 新たなリズム
歩くテンポ。
時を刻む振り子。
呼吸の間合い。
心臓の鼓動。
浜辺の波音。
海鳥たちの鳴き声。
潮の満ち引き。
子供の笑い声。
街角を過ぎていく車のノイズ。
キーボードを叩く音。
永遠の循環。
時とともに生まれる干渉。
巡り混ざって新たな命(リズム)に。
No.05252 24.08.01 気持ちいいものを感じると眠くなる
気持ちいいものを感じようと瞑想状態になると、たいてい眠くなる。
いろんなことが一度に起きていることがわかる。
まず、過去の思い出がたくさんある。
それらが一度に浮上する。
全部ではない。
その日によって違うが、いろんな思い出がたくさん一度に思い浮かぶ。
一方で、たくさんの未来が見える。
それはほとんど空想だろう。
そして、いま。
いまのこともたくさん見える。
立場によって違ういろんなことが。
それらが一度に降りかかってくるので、何を感じているのかはよくわからない。
折々に目立つことが浮上する。
そして消えていく。
まるで夢を見ているようだ。
そして、実際に夢に堕ちていくことがある。
現実と夢の境にいるとき、言葉はない。
いろんな出来事が、今までとは違う繋がり方をする。
どんなつながりも、ひとつの命の誕生だ。
すべての出来事が祝福になる。