静岡県三島市にある小さな神社。
瀬織津姫を祭神としている。
修験道の禊道場だったといわれる滝の前にあり、常に水音がしていて心地よい。
今年の例大祭に柚楽弥衣さんの歌唱とアムリタ朝子さんの舞が奉納された。
No.05343 25.01.09 スマートシティ化
全国各地でスマートシティ化が進められている。
予定通りの街ができたら素晴らしいだろう。
でも、時期尚早の区域もあるだろう。
テストマーケティングのようなことをしてから、じっくりと取り組むのがいいように思うけど、どうなんでしょう。
その価値が理解できたら、無理に進めなくても自然にできてくるように思うけど、それじゃダメなのかな?
政府はきっと、失敗例も知りたいんだろうな。
多くの成功例を作るために。
https://www.mlit.go.jp/toshi/tosiko/toshi_tosiko_tk_000051.html
No.05328 24.12.10 開高健ゆかりのバー
開高健ゆかりのバーに連れて行ってもらった。
ライターになってはじめての仕事が開高健がかつて編集長をしていた雑誌だった。
それをきっかけに何冊も著書を読んだ。
文章が洒脱で。言い回しがすごい。
1989年に亡くなったのに、いまだに親しかった人たちが命日に集まってくる。
僕がパイプを吸えるようになったのは開高健のエッセイのおかげ。
No.05327 24.12.07 銀座の歩行者天国
銀座で歩行者天国がおこなわれるようになったのは1970年というから、54年の歴史があることになるが、それ以前から小さな通りではときどき行われていたそうで、東京では明治20年(1887年)には神楽坂の縁日でおこなわれていたという。
縁日で通行止めになることも歩行者天国だと考えると、日本には昔からあったことなんだなと思える。
1970年頃、正確にはいつだったか思い出せないが、銀座のホコ天(歩行者天国)を歩いた記憶がある。
当時は車道を自由に歩けるのが新鮮に感じた。
しかし、やはり車道を歩くということで、多少の遠慮を感じたし、歩行者もさほど多くはなかった。
ところが今日行ってみると、海外から来た人を中心にたくさんの人が歩いていた。
まっすぐ歩くのが困難なほど。
そこに来たいろんな人の幸せそうな雰囲気が良かった。
No.05319 24.11.24 近所の銭湯
銭湯に行くのは滅多にないことですが、お風呂の給湯器が壊れてしまったので修理が済むまで通います。
何十年か前にもそんなことがありました。
そのときに行った銭湯はもう今はありません。
ほとんどの家にお風呂があるようになってから、銭湯は斜陽産業だと聞いていました。
桜台駅のそばにある銭湯久松湯に行きました。
そこは10年ほど前に建物全体をリニューアルしていました。
入ろうとしたら、人がいっぱいで入れません。
お風呂に入るのに10分ほど待たされました。
待合室にはほかにも待っている人が20名ほどいました。
番号札を呼ばれて料金を払い中に入ると、脱衣所が混雑しています。
やっとロッカーを見つけて着替えようとしたら、隣にいた年配の方に声をかけられました。
「この風呂いいよねぇ」
「そうなんですか? ここに入るのははじめてです」
「そうなの。どうしてここを知ったの?」
「近所なので、あることは前から知ってました」
「そうなんだ。俺はね、銭湯好きな仲間から教えてもらったんだよ」
「じゃあ、遠くからいらしたのですか?」
「高田馬場」
「それは遠いですね」
「バイクで週に一度は来るんだよ」
浴場は普通の銭湯より工夫されていました。
普通のお風呂のほかに、電気風呂、泡風呂、水風呂、31度の低音風呂があり、露天風呂は温泉になっています。
余計に550円払うとサウナにも入れます。
サウナに入らなければ料金は銭湯と同じ。
銭湯好きにはたまらないかも。
銭湯が斜陽産業だなんて、誰が言ったんだ。
No.05315 24.11.18 国立京都国際会館
友人の写真家が国立京都国際会館を撮影したとfacebookに作品をアップした。
懐かしい。
三十代の頃、そこに二、三日泊まって国際会議に参加したことを思い出す。
神社のような屋根の造り。
未来を思わせるその廊下。
あちこちに見られる斜めの柱、V字の柱。
庭園では池の上を歩ける歩道。
会場内のステンドグラスやライト。
一流の場所は一生忘れられない印象を与えてくれた。
No.05314 24.11.15 プールバー
会社員だった頃、よくプールバーに行った。
夕飯を軽く食べて、プールバーに行く。
バーボンなんかをすすりながら球を突く。
あの場の音や雰囲気が好きだった。
行く日は会社にこっそり普段はしないアームバンドをしたりして。
大学生の頃にビリヤードを覚えてよかった。
No.05282 24.09.13 当たり前であること
日本にはたくさんの当たり前があってありがたい。
世界には日本の当たり前が通用しないことがある。
水道が飲める。
郵便がきちんと届く。
生卵が食べられる。
刺身が食べられる。
夜道を歩ける。
外でお酒が飲める。
など。
みなさん、ありがとうございます。
No.05279 24.09.07 男爵
高校一年のとき、吹奏楽部の先輩の髪型が良くて、「どこで髪を切っているのですか?」と聞いた。
「男爵だよ」
先輩とは中学も一緒だったので、男爵という理髪店はうちのそばにあった。
その理髪店の何がいいのか言語化するのは僕には難しい。
でも、なんとなく綺麗にまとまるのだ。
「他の理髪店と切り方が違うんですか?」と男爵で聞いたことがある。
「なんとかカットしているからね」
「なんとか」は忘れてしまった。
「それはどういうカットなのですか?」
聞くと、普通の切り方はこう、なんとかカットはこうと違いを見せてくれた。
でも、僕にはその違いをすぐには把握できなかった。
「そのカットはどこかで習ったのですか?」
「イギリスのヴィダル・サスーンで習った」
当時、ヴィダル・サスーンのシャンプーなどのCMが流れていた。
なんかすごいところで習ったんだなと認識した。
はじめて行ったとき以来、二ヶ月に一度程度、40年以上男爵に通った。
気さくな夫婦がやっていた。
のちのち知るが、ご主人は三代目で、創業120年近くの老舗だった。
先日行くと、「今月末で辞めるんだ」という。
「もったいない」とは思ったが、事情を何も知らない者がなんだかんだ聞くのは鬱陶しいだろうと思ってやめた。
お店がなくなると思うと、さて次回からどこで髪を切ったらいいのか困る。
髪を切ってもらうたびに心地良かったことを思い出し、「40年間ありがとうございました」と店をあとにした。
No.05262 24.08.12 大雁塔
大学生の頃、西安に行った。
街中を歩き回った。
町外れには城門があった。
大きな塔が二つあり、一つは大雁塔、もう一つは小雁塔といった。
三蔵法師が持ち帰った経典や仏像を保存するために作られたという。
大雁塔は中に入れたので一番上まで登って街を見下ろした。
碁盤の目のように道が走っていた。