No.05066に相方が亀の子束子本店に行ったことを書いたけど、僕も行ってきた。
亀の子束子という古い商品を、どのように現代に根付かせているるのか興味を持ったから。
日本は古いものと現代のものとをフュージョンするのが上手であり、だから、100年、200年以上続く企業が世界で一番多く、1000年も続く企業も20社以上あるのではないかと思う。
坂井直樹氏にあこがれて来日したデザイナー、グエナエル・ニコラ氏は、日本の魅力は時代を超えたデザインが現代に同居していることだと指摘していた。
(詳細はこちらに。https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p1816/)
古くても人を笑顔にする商品、それはどんなものかという説明はうまくできない。
そういうものにまずは触れることが大事かなと思った。
No.05082 23.11.02 チキンポットパイ
ケンタッキーフライドチキンのチキンポットパイのCFを見た。
チキンポットパイと言えば、高田馬場にあったボイルストンのチキンポットパイが懐かしい。
そこには何十種類ものバーボンが常備され、フェスティバルには100種類が用意された。
新聞紙に印刷されたようなバーボンリストを眺めて、その日飲むボトルを決めた。
そこでいろんなバーボンの味を覚え、会社での憂さを晴らしていた。
あれば必ず頼んだのが、チキンポットパイとシーフードパイ。
美味しくて楽しかったな。
No.05067 23.10.14 新宿御苑の金木犀
新宿御苑に行ってきた。
見どころはたくさん。
この季節に一番気になっのは金木犀。
あちこちに金木犀の木があり、その香りがどこからともなく風に乗ってやてくる。
赤みを帯びた黄色い小さな花から放たれる芳香。
No.05066 23.10.13 亀の子束子本店
相方が昨日、ニコニコしてやってきた。
「これ見て」
紙袋を差し出す。
そこには、たわしを持った和服で日本髪の女性が古めかしい雰囲気で描かれている。
イラストの脇に「亀の子束子」という文字。
「亀の子束子本店に行ったの」
紙袋からオシャレなたわしやスポンジと一緒に「カメノコブレンド」と書かれたコーヒーパックも出てきた。
そのコーヒーを飲みながらお話を聞く。
「いろんなものが売られていたの。たとえば、あれとかこれとか、、、」
相方がこれだけ幸せそうになるのだから、余程のインパクトだったのだろう。
いつか行って見たくなった。
No.05061 23.10.02 1970年の日本万国博覧会
1970年の万国博覧会は日本中の憧れだった。
月の石を見に行きたかった。
手塚治虫が作ったという物語生成マシーンを使ってみたかった。
いろんな国のパビリオンを見て歩きたかった。
でも、行けなかったのが残念。
うちにはなぜか、松下電器のタイムマシーンのミニチュアがあった。
そのタイムマシーンの中心には、赤い豆本が設置されていた。
いま調べたら、正しくは「タイム・カプセルEXPO’70」というそうだ。
https://panasonic.co.jp/history/timecapsule/
No.05051 23.08.30 カパルアまでサイクリング
ラハイナから海沿いの道を北上するとカパルアに出る。
左手に海、右手に雄大な山を眺めながら、レンタサイクルでえっちらおっちら10kmほど走った。
海風があるとはいえ、ハワイは暑い。
途中にウェスティンの系列のホテルがあったので休憩した。
カパルアの看板を見つけて、海沿いまで自転車で降りて行った。
だけど、その辺りはリゾートが立て込んでいて、きっとその向こうには海があるんだろうなと思いながら、リゾートの門ばかり見て帰ってきた。
ラハイナの思い出は今回で終わりにします。
あの素敵だったラハイナに住んでいた人たちが健やかになり、いつか再興することを祈っています。
No.05050 23.08.29 あるホテル
そのホテルの名前は忘れてしまった。
グーグルマップで調べると、おそらくディケンソン・ストリート沿いにあった。
そのホテルはクレイジーシャツの社長がオーナーで、パイオニア・インと同じく古い建物だった。
入り口脇には船の船首にあった女神の像が飾られていた。
フロントの女性が愛想良くて、つい長話をしてしまった。
調度品は古めかしいもので、ベットが高くて背の高い僕でも上がるのに苦労した。
そこの一階にレストランがあった。
パンとそれにつけるバルサミコとオリーブオイルがとても美味しくて、メインディッシュを食べる前にパンでお腹いっぱいになってしまった。
火災の前にすでに廃業していたようだ。
もう一度泊まりたいホテルだった。
No.05049 23.08.28 チーズ・バーカー
ラッセンのギャラリーに建物の絵があった。
海の生物を描いている一般的なラッセンの作品とは独立して、ある壁に飾られていた。
何だろうと思って近づくと、タイトルに「チーズバーガー」と書かれていた。
ギャラリーから出てしばらく歩くと、絵になっていた建物があった。
「チーズバーガー」というバーガー屋さん。
店内の雰囲気でファンになった。
当時はワイキキにも二店あり、そちらに行ったこともある。
アメリカらしい豪快なバーガーが出てきた。
No.05047 23.08.26 パイオニア・イン
100年以上の歴史がある古いホテル。
wikipediaには、2023年の大火で消失するまでは「マウイ島最古のホテル」「ハワイ州で現存最古のホテル」として知られていたと書かれている。
港側の入り口には木彫のパイプをくわえた船長さんの像があった。
建物は木造で、階段を上がるとミシミシいった。
部屋のベランダは何部屋かつながっていて、ベランダにでるとき誰かがいると会釈をし、ときには話しかけられた。
昔はきっと捕鯨の船員たちで混んだのだろうと思っていたが、開業当時にはもう捕鯨は下火になり、船でマウイに訪れる旅行客で賑わったそうだ。
一階にはレストランやちょっとしたショップがあり、そこでシガーを買った。
支払いのとき、まごまごしていたら、頭越しに店員に話しかけた男がいた。
「久しぶり、元気だった?」
みたいな感じで。
ハワイらしくて微笑ましかった。
でも、そこで買ったドライシガーは苦かった。
今回の大火で味わった苦さほどではないけど。
No.05046 23.08.25 アイランド・サンダル
パイオニア・インとバニヤンツリーにはさまれた通りをまっすぐ進むと、突き当たりにショッピングモールがあり、その一階にアイランド・サンダルというお店があった。
はじめてそこを訪れたとき、入口に日本語で「サンダルメーカー」と書かれていた。
サンダルを売っているところはたくさん見たが「作っているってどういうこと?」と思い、中に入った。
お店に入ると作りかけの皮革製サンダルがズラッと並んでいた。
白人女性が一人用の肘掛け椅子に座って、足を見てもらっていた。
その足を見ていたのはサンタクロースのように長くて白いあごひげを生やした店主だった。
頭はツルツル、メガネの奥の眼光は優しかったり、厳しかったり。
先客が店から出て行くと「このサンダルを履くと気持ちいいよ。よかったら履いて芝生の上を歩いてご覧」という。
一足のサンダルを差し出された。
窓の外には芝生があった。
「このサンダルを作るノウハウはどこかで学んだの?」
「昔ね、ローマ時代の映画が流行ったろ。ベンハーとかさ。あれの小道具を担当したとき、その作り方を習ったんだ」
そう聞いて一足買うことにした。
すると肘掛け付きの椅子に座らされて、足の形を型紙に取られた。
「これがあれば、いつでも同じ形のサンダルは作れるからね。電話で注文してくれてもいいよ」
それから一、二か月後、東京の我が家にサンダルが届いた。
地面の状態がダイレクトに伝わってくる、履き心地のいいサンダルだった。
ただし、焼けたアスファルトの上では熱くて歩きたくない。
暖かい芝生の上を歩くには最高のサンダルだった。
底も革製なので、永く履いていると擦り切れて修理が必要になる。
郵送で修理できたが、それを口実に二度マウイに行った。
行くたびに修理してもらい、店頭で面白い話を聞かせてもらう。
またいつか行こうと思っていた。
店主マイケルの無事を祈る。
ホームページは現在、写真が抜け落ちて不完全だ。
インスタグラムを見つけた。
去年の6月まではお元気だったようだ。
https://www.instagram.com/island_sandals/